空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

「おかえり」という言葉が好き

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たとえ何があっても、戻ってきさえすれば「おかえり。」と言ってもらえる場所、関係。初めて来る子にも、駆け込んできた子にも、出戻りの子にも、とりあえず理由は聞かずに、「おかえり」と声をかけてくれる人がいる場所。それが「居場所」です。(家入一真さんのBLOG「何者でも無い存在になれる居場所」より)

ふと流れている日々流れて行くTwitterのTLの中で、家入さんのほぼ日刊ダメ人間を見つけた。時々読んでいるんだけれど、その中で今の自分に刺さるモノがあったので紹介したい。本日のテーマは「おかえり」という言葉。この言葉、私も好きなんです。

「私には居場所がない」と感じる

私は落ち込んだり・ネガティブになったりするととことん落ち込むタチなので、そのたびに「いてもいいよって言ってくれる居場所がないなぁ」と感じる。新卒で入った会社を辞める決断をしてから、結構しょっちゅう。

実際、結構街をぶらぶら彷徨ったり、お店に入る気にもなれず、月曜の朝とかなんかは電車を無駄に乗りついでどこかに消えたくなったりする。

けれど実際にはどこにも消えることは出来ないから、会社に行って家に帰る。または会社を休んで街を彷徨った末に家に帰る。けれどその家でも「早く一人前になって、正社員として働け!」と言われ続ける。

心配してくれていると思うんだけれど、それと同時にそれが出来ない私って、もしかしていちゃいけない人間なんだろうかと思ってしまう。

私も、貴方も、ここにいてもいい

けれど、家入さんのBLOGを見た時、ふと思った。

あぁ、私は「おかえり」と出迎えてくれる場所が欲しかったのかもしれないなって。新卒で入った会社を辞め、ニートの時期を経て、派遣社員として働いていたものの、10月末でその会社を辞める決断をして。そんなふらふらしている私であっても。

なんでだろう。「おかえり」って言葉には、人を安心させる力があると思う。ここに戻ってきてもいいんだって。ここにいてもいいんだって言われている気がする。単純、私ってなんて単純な人間なんだ!

 

最近、蟲師続章[後編]が始まってその第一話を見た。主人公であるギンコが蟲を寄せ付けるという厄介な性質を持っているが故に災いを呼ぶ子どもだと言われ、1つの場所に留まることが出来ずに街を転々としている話だった。アニメの話は省略するけれど、ギンコが出会ったとある蟲師が言っていた言葉が印象に残っている。

この世に居てはならない場所など誰にも無い

不安になっていたことが指摘されたように思えてドキッとした。

私とアニメの中のギンコでは、年齢、立場、性質、過去、環境、事情も全然違うけれども、私もそう思っていいのかな。というかきっと、本当はみんなそうなのだろうと思う。ただいちゃいけないのかなと悩んで、思い込んでしまうだけで。難しいけど。

本日のまとめ

「おかえり」と「ただいま」という言葉を大切にしたいと思う。

Twitterをしていた時、日常生活では絶対使わないけれどTwitter内で流行っていた「きたくったー」という言葉をよく使っていたことがあった。正確な意味は知らないけれど「今帰宅したよ!」というニュアンスの言葉だと思う。

でも「おかえり」「ただいま」の方が好きだなぁ。言われると単純に嬉しいし、誰かに言えるようになりたいと思う。私の勝手な考えなんだけれども、なんとなく語感がやわらかい。受け入れてくれているという感じがする。私だけかもしれないけれど。

だから今はTwitterでは「ただいま」って発言するようにしている。けれど言うだけじゃなくて、これからは「おかえり」も言いたい。本当に家族だけじゃなくてもいいから、そういう場所がたくさん出来ればいいのにと思っている。

家族の居る家が本当に居づらい場所になったり、追い出されたりして、本当に1人になった時、果たして私は生きていけるのかって考えると怖いんだ。

まぁ今の私には、自転車置き場で働いているおじさんしかいないんだよ。

そう言ってくれる人。

バカ、アホ、ドジ、マヌケの成功者

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