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空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

色のない世界と鮮やかな世界

コミュニケーション 雑談 日記

「言葉が不自由」最近、よくそう思う。

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(illustration by くちばしかけた

自分に話しかける時はどんな言葉だって掛けられる。元気が出る言葉も、自分を奮い立たせる言葉も、甘やかすことも、慰めることも滅多打ちにして息絶え絶えにすることも、認めて許すこともできる。

ブログを書くときはそうはいかなくて、悩みながら言葉を紡ぎだすことが多い。本当に言いたいことなのか、伝えたいことなのか、忘れたくない思いなのか。思いつくままに書き綴って、人に見せられる形へと修正する。向こう側にいる不特定多数の誰かを意識するからだ。

削りとられた部分は胸に仕舞い、残された部分を丁寧に空へ飛ばす。いつだってその繰り返しだけど、現実はそうは行かない。口から出た言葉は取り戻せない。その結果としてもたらされるモノが時に怖くてしかたがなくなって。すべてを飲み込んで、笑みの向こうに隠してしまう。言いたいことも言えないことも、全部、全部、全部。

ということで、そもそも映画とまったく関係ない気もするけれど、「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of ReBirth」を2回ほど見て考えたことを、自分自身のために書き残しておこうと思う。出来ることならば心の奥底に沈めておきたい部分なので、例によってまとまりはないかもしれませんがご了承ください。

 色のない世界を生きる

普段はあまり外界に対する自分の姿勢って、深く考えることがないように思う。朝起きてご飯を食べて、電車に乗って会社に行って、仕事が終わって帰って寝る。当たり前のように思える生活をひたすらルーチンワークのように繰り返してる。

特に、私の場合は仕事をしている時の考え方が顕著だ。

そこにいる自分は仮初で、私の中のほんの一部で、傷つきやすい部分は遠くに隠してて。そうすることで多少のツライことがあって、多少傷ついても、血が噴き出すほど深く受け止めなくて済む。自分にとっての毒を記憶することなく、再現することなく、忘却の彼方に追いやることができる。そうすることで私はまだ歩いていける。

大げさなようだけど、大体そう考えている。

思考停止しているわけではないのだけど、外界から受け取る色々な感情について深く考えないようにしているというか。「失うことがわかっているなら初めから欲しくない」と考えている、小さな頃からの処世術みたいなもんだ。

まぁその場その場によって自分自身のペルソナ(仮面、役割)を使い分けることなんてきっと誰もがしていることだと思うのだけれど。そうやって歩くことにずっと慣れ親しんできたからなのか。それが本来の自分自身を侵食してきているように思う。

誰かと食事に行く、飲み会に行く。話が続かない。別にいい。その人個人に対する質問なんかない、その人に興味がないから。聞きたいこともない、知りたいこともない。だって人はそこらへんにある風景と一緒なのだ。私という人間に関わらず流れていく時間のようなものなのだ。人は風景と一緒だ、ここは色のない世界だ。

そう思っていた。

鮮やかな世界を行き来する

でもいつの間にかそうではなくなっていた。

自分の感じ方、捉え方次第で、世界は灰色になったり、赤や黄色、緑や青の光が煌めく鮮やかな世界になったり。そういう表裏一体のようなモノなのかもしれないって。両方を行き来しながら、しばらくその大切さに気がつくのだ。

色のない世界はすべてが氷のように冷えて固まっていて、空気が停滞しているけれど。鮮やかな世界では時間の流れがとてつもなく速くて追いつけないような感覚に陥る。平日、仕事をしている時は半ば心を殺しているけれど。こういう時、生きているなって気がする。

仲の良い誰かと大切だと思える人との時間が、その時たどたどしくも交わされる会話が。まるで奇跡のようで、かけがえがなくて、嬉しくて楽しくてキラキラしている。

けれど一緒に歩いているはずなのに、私の心が追いつかない。言いたいこと、伝えたいことがたくさんあるはずなのに、まるで後遺症かのように受け取った言葉や感情に対する反応に鈍くなっていて、途端に言葉が不自由になってしまう。「あの時言われた言葉に、こう返したかったんだ」そんな風にいつも遅れてやってくる思いが、私は堪らなく悔しい。

言葉が、言葉が不自由だ。

聞きたいのに聞けない。知りたいのに言えない。伝えたいのに言い出せない。かけがえのない時間が終わってしまうんじゃないかって不安で、その時間を受け止めることにいつも精一杯で、思考の海に沈む余裕なんかどこにもなくて。他人を意識するって多分こういうことなんだろうなって、ふと思う。そして私はいつもその時受け取った感情に答えることが出来なくて。自己嫌悪する。

こんなにも悩んだことって今まであっただろうか。
私はいつかそれを伝えられるだろうか。

本日のまとめ

そろそろ、空想島の記事数が400に達しようとしている。

それらの記事の中で、私が読み返すものといえば、多くが外界に接した時の自分の内面や考え方に関係するものだ。悩んで揺らめき、沈み込んでいく思いを見つめ直していると、自分自身のコンプレックスにも似たモノを客観的に許せるような気がする。

アニメとか映画とか漫画とかは、常に肩に力が入りっぱなしな生き方をしている私に力を抜くきっかけをくれたり、楽しい気持ちを思い出させてくれるモノであり、物語の世界を生きることで現実の私を癒すモノであり、もやもやしたものを涙という形で吐き出す後押しをしてくれたり、自分自身の奥底にある内面を見つめるきっかけになることもある。今回は、それが「PERSONA3」であったということかもしれない。

別に相手のことを考えず、自分の言いたいことを全部言いたいわけじゃない。言わないほうがいいこともあるし、時に言葉で人を傷つけてしまうこともある。だから自分の気持ちを大切にすると同時に、伝えたい気持ちを乗せる言葉も大切にしたいのだ。

でもだからといって自分の気持ちを伝えられないのでは、誰にも伝わらない。だからたどたどしくてもいいから、まずは声に出してみよう。伝える努力をする、その一歩を踏み出したい。そう思った今日この頃。

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