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空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

身近な誰かに優しくなれる映画「きみはいい子」鑑賞

これはテアトル新宿の入り口前で撮った写真だけれど、地元の図書館にもイベントポスターや映画ポスターが貼ってある場所がある。

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抱きしめられたい。――子どもだって。――おとなだって。

 いつもはなんとなく通り過ぎるだけだったのに、その時は思わず立ち止まってしまった。それくらい、キャッチコピーに心惹かれたことを覚えている。

見たいなあ、見たいなぁと思いつつ、中々、映画鑑賞をする時間を見つけられず。気がついた時には、上映開始から既に6週目に入っていて。上映している映画館がとても少なかったのですが、映画(ファーストデー)の日ということもあり、やっと見ることが出来ました。

ということで本日は呉美保(『そこのみにて光輝く』)監督最新作である「きみはいい子」という映画を見てきたので、少々ネタバレを含む部分もありますが、簡単に感想を交えて紹介したいと思います。

「きみはいい子」とは

“きみはいい子”オリジナル・サウンド・トラック

児童文学作家である中脇初枝さんの連作短編集が原作の映画で、わたしは原作を読んだことはないのですが、こどもをめぐる事件の報道が今では珍しくなくなってしまい、いつどこでも起こる可能性があるものとなり。児童虐待を"される側"と"する側"の心の問題に焦点を当てた作品です。

真面目だけど優柔不断で、学校や子どもの問題に真正面から向き合えない新米教師と学級崩壊。ママ友たちとの表面上の付き合いの影で自分の娘に手をあげ、自身も親に暴力を振るわれていた過去を持つ母。認知症の兆しにおびえる独居老人と障碍をもつ小学生との出会い。3編を再構成して1つの映画になっています。

現代社会の中に潜む、今もどこかで誰かが泣いているかもしれない、そういう重いテーマを扱っている作品ではありますが、誰かの思いやりや言葉、何気ない行動がまわりの誰かを支えていたり、誰かに支えられていたりすることがある。そういう可能性と、わたしたちはまわりの誰かのために優しくなれるんだっていう、願いと希望を繊細に描いている作品だと思います。

こういう作品って普段のわたしだったら、本屋に行っても手に取ることって多分ないし。そもそもどこの棚においてあるのかすらわからないと思うから、心にズドンと来た。自分の小さな頃と重ね合わせて見てしまって、涙が止まらなかった。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。

子どもにとって、親って良くも悪くも絶対なんだ

劇中にはさまざまな問題を抱えた親子が出てくる。

両親は給食費を一切払わず、血の繋がっていない父は仕事もせず家で寝ているかパチンコをしているか。夕方5時までは絶対に家に帰ってくるなと言われ、雨になってもぽつんとひとり、家に帰ると虐待されている。それでも「僕がわるい子だからお父さんは怒る、いい子になるにはどうしたらいいの?」と先生に尋ねるのだ。そして虐待疑惑のある子どもに教師たちが「親に虐待されていたりしない?」と尋ねても首を振る。

「私、お母さんとおそろいの靴を持ってるの」そう嬉しそうに話しながらスキップをして。クレヨンや色鉛筆を使って画用紙に書いているのはお母さんと自分が笑っている絵で。ママ友の1人に「うちの子になる?」と聞かれて「やだ!!」と即答して、母親に抱きつく。それは例え、家で殴られ、リモコンを投げつけられ、母親が手を上げたら反射的に頭を守り、ごめんなさいと謝りながら、おびえた目で母を見る毎日が続いても変わることはない。きっとそれが少女の精一杯の”好き”なのだ。

このとき、小さな子どもにとっては親っていうのは良くも悪くも絶対な存在なんだと思い知らされる。小学校という閉じられた世界、または保育園にも入っていない小さな子どもたちの生きている世界は小さくて、閉塞的だ。誰にも気づかれることなく、病んでいく可能性を秘めている。

 人と人とのつながりの先にある、小さな一歩を描く

現代社会の中に潜む、今もどこかで誰かが泣いているかもしれない、そういう重いテーマを扱っている作品ではありますが、誰かの思いやりや言葉、何気ない行動がまわりの誰かを支えていたり、誰かに支えられていたりすることがあることを思い出させてくれる気がした。

誰かに手をさしのべてもらえること、痛みに気づいてくれること、ほめて貰えること、つらかったね、いままで頑張ったねと認めてもらえることの幸せが繊細に描かれている。それは子どももおとなも変わらないモノで、そして人とのつながりの先にしかないモノでもある。

自分のしたことを子供は真似する、だから、私がやさしくすればこの子がやさしくなれる

上記は劇中でシングルマザーである新米教師の岡野の姉が言っていた言葉なのだけど、私自身は"貴方がそんなんだと、私が一体どういう教育しているの、親の顔が見てみたいわね!と言われるでしょ!?”的なことを小さな頃いつだったか母に言われたことがあるのですが。きっと母も、私を育てている時にいろんな葛藤があって、苦しんでいたのかもしれないと思った。

なぜ、××ちゃん家の子になりたいと言ったのか?

まだ私が幼稚園に通っているくらいの小さな頃、私には一番仲がよかった幼馴染がいた。マンションに住んでいる同年代の女子ということで、家族ぐるみの付き合いがあって、外を走り回ったり、互いの家を行き来して、リカちゃん人形で遊んだりしていた。

けれど夜遅くになると母が迎えにきて「帰るよ」と私の手を引く。すると決まって私はまだ遊びたいと駄々をこね、泣き喚いたらしい。「明日、また遊べばいいじゃない」と私を説得しようとする母に向かって「帰りたくない。私、××ちゃん家の子になりたい!」と叫んだことがあるらしい。なんとなく覚えている。

映画の中で、母親に虐待されているにも関わらず、仲のよい子の母親に「ウチの子になる?」と聞かれて「絶対ヤダ!」と子どもが即答するシーンが何回かあるのだけれど。なんで私はあの時、××ちゃん家の子になりたいなんて言ったんだろうと、ふと思った。

別に私は親に虐待されていたわけではないのですが、なんであの頃の私がそんなことを言ったのかは、今の私にはわかりません。カッとして出た言葉なのかもしれないし、妹が生まれてから「お姉ちゃんなんだから我慢して」という言葉に傷ついて、ないがしろにされたことが寂しかったのかもしれない。一体何を考えていたのだろう。けれど後に母から「あれは相当傷ついた、私の何がいけなかったのかと自分を責めた」と聞いた。

 

あの時はごめんね。今はそんなこと、思ったこともないよ。
なんだか、そう伝えたい。そう言って、母を抱きしめたい、そう思った。

 

思ったことや感じたことを羅列しただけっていうあまりまとまっていない紹介と感想になってしまったけれど、これを本日のまとめにしたいと思います。

テアトル新宿などの一部の映画館では8月も引き続き上映しているので、興味がある方は是非映画館で見てみてください。オススメです、私ももう1度みたい。

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)

 
関連HP

映画『きみはいい子』公式サイト