空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

最近、彼女の笑顔が少なくなった気がする

それが、私は、心配で仕方がないのだ。

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(illustration by くちばし欠けた)

どちらかというと私は、今日あった出来事、面白かったこと、友達とこんなことして遊んだ、学校でこんな話をしたとか。誰かに教えたい、誰かに伝えたいと思ったら、包み隠さず全部話してしまう方だったように思う。それは別に口が軽いとか、人の秘密を暴露してしまうということではなくて。家族との団欒、主に食事の時に話すような小さな頃からの習慣としての話だ。

彼女にそれがないというわけではないのだけれど、どちらかというとこちらが聞かなければあまり自分の気持ちを話さないような、そんな感じがある。もしかすると自分の中での気持ちやキラキラした思いを、心の宝石箱の中に仕舞っておくタイプなのかもしれないけれど。それは彼女にしかわからない。

最近仕事が忙しいのか、彼女は誰よりも遅くに帰ってくる。疲れたという気持ちを発しながら、口数少なく御飯を食べて、会話の糸口を見つけようとする父の言動にイライラしながら、そうしてすぐに自分だけの箱庭に帰ってしまう。

ということで、今回はそんな彼女の話をしたいと思う。

 仕事のこと、どう思っているんだろう?

新卒入社した会社を4ヶ月で退職して、1年ほどニートしたり派遣社員したりしてフラフラしていた私と違って、彼女は大学を卒業してきちんと就職した。やりたい仕事なんてものはおそらくなかったと思うが、それでも大学で学んだことが生かせる仕事について、それをずっと続けている。素直に、それができるのはすごいと思っている。

私が学生だった時「働きたくねぇ」と本気で考えていた。けれど皆が就職活動するからと流されるように就職活動をしてあの会社に入社した、そして4ヶ月で辞めた。それからというもの、この空想島で時々書きなぐってきたように、私にとって働くとは何か?仕事とは何か?をずっと考え続けてきたように思う。

 

「やらされている感がある」―――――大学を卒業して初めて社会に出て、以来60年以上1つの会社に勤め、多くの部下を持ち、まるで自分のことのように会社のために、そして家族のために仕事をしてきた父は彼女を見てそう表現した。

「やらされている」とは、言われたからやるといった受身姿勢のことだったり、どこか自分事ではなくて他人事のような、そういうことを言っているんだと思う。確かにそういう面もあるのかもしれないけれど、私の考えは少し違う。

前提として私は大企業で働いた経験がないので、ほとんど想像になってしまうのだけれど。会社が大きければ大きいほど、自分たちの仕事のその先に、誰がいて何に繋がっているのか、喜んでくれているのか、役に立っているのかが見えにくくなるのではないかと思う。そんな中でどれだけの人が、今自分のしている仕事を自分事として捉えられるだろう。

かくいう私も毎日の仕事をこなすことに手一杯で、小難しいことを考える暇はない。だからプロジェクトリーダーや上司に言われた仕事をやるということは普通にある。けれどそれが「やらされている」ことなのか、そうではないのかは自分で決めることだ。仕事に悩んだり、働くことが嫌になったり、迷子になりそうになった時に、自分を見失わない道しるべ的な意味でも、(自分の中での)仕事に対する姿勢を明確にしておくことは大切なことなんじゃないかと思う。

 

偉そうなことを書いておいてなんだけど、私が仕事をする上で考えていることは「今の自分に出来る仕事をする」「まかされた仕事をする」「そして出来れば定時退社する」の3つくらいだ。何度も書いたような気がするが、私にとっての仕事とは「やりたいことを実現するための手段」である。本当に実現できるのかどうかはわからないけれど、今もそのために働いている。

こういうのは人それぞれ考え方があるから一概にこういうものだなんて言うつもりは全くないけれど、きっと自分で見つけるものだと思う。彼女は、何を考え、何のために働いているのだろう。そういうことはあまり聞いたことがない。

何をしている時が、楽しいと感じるんだろう?

 自分でいうのもなんだが、私には自分が楽しめるいろいろがたくさんある。それは自分のご褒美的な意味でもあり、仕事をする上での気分転換にもなっている。例えば3ヶ月に1度くらいのご褒美という意味では、温泉旅行に行くのが好きだ。暇あらば温泉宿を検索して、いつか行く温泉旅行プランを練っているし、思い立ったが吉日と言わんばかりに、ときどき1人旅に出かける。

週に1度か2週に1度くらいの楽しみは行ったことのない街を散歩することだったり、食べたいと思ったスイーツを食べるために出かけることだったり、ブログを更新することだったりする。勿論、相棒であるOLYMPUSのE-PL6で写真を撮るのも忘れない。

仕事の気分転換にどうかな?と思って彼女を誘うこともある。確かに彼女は誘えばついてくるけれど、「ここに行ってみたい」「これが食べたい」と主張することはほとんどない。その割に文句だけは一人前だったりする。だから私は温泉旅行に出かけるのが楽しいけれど、彼女もそれが楽しいと思っているのかどうかは、本当のところは彼女にしかわからない。


勿論、彼女に私と同じことを好きになれなんていうつもりはない。けれど毎日仕事から帰ってきても、夜遅くまで勉強をしていて。毎週というわけではないけれど会社の付き合いがあったり、飲み会があったり。土日のどちらかが仕事に関する勉強会でなくなったりする中で、仕事に追われ、時間に追われていく彼女を見ていると。ささいなことでもいいから、毎日を生きていく上での楽しみを見つけて欲しいと思ってしまう。

ちなみに私の毎日の楽しみは会社の行き帰りにやるスマホゲームだったり、ランチタイムにスマホで読む二次創作小説だったり。ずっと好きで買っている漫画を自宅で読むことだったり、録画しているアニメを見ることだったり。他のブログを巡回したり、pixivでイラストを見たり。最近ハマッている刀剣乱舞や艦コレ等のPCゲームをすることだったり、TwitterのTLを見ることだったり。そういうたわいのないことばかりだ。

自分にとって楽しいと思えることがたくさんあるということは、モチベーションにもなる。自宅と会社を往復するだけの生活ではないのだと、思い出させてくれるように思う。動かずにその場でおとなしく待っていても楽しいことはやってこないと思うから、自分が楽しいと思えるものを自分で見つけにいってほしい。

本日のまとめ

 私は26年間生きてきて「今が楽しい」と思っている。

今の仕事を始めて半年が経とうとしていて、右も左もわからない状態だった半年前の私と比べると、だいぶ仕事に慣れてきたように思う。今でも仕事をしていて注意されることも多いし、別段仕事が楽しいと思うわけでもない。正社員ではないので、ボーナスもない。

 

けれど仕事以外の好きなことがあって、その他にやりたいこともあって。家族と食事をしたり、好きなアニメや漫画を読んだり、ブログを書いたり。そういう当たり前に思える日常を楽しいと思えることが素直に嬉しいと思っている。

つらいことや嫌なこともそりゃあるかもしれないけれど、それでもそれ以外のところに楽しみを見つけて、出来るだけ彼女に笑って過ごして欲しいと思っている。ムリして笑顔を浮かべろとか苦笑いや愛想笑いではなくて。

 

何の力にもなれないかもしれないけれど、もっと自分のことを話してほしいと思う。誰かに話すことで肩の荷が少し軽くなったり、自分の中でモヤモヤしているものに整理をつけたりすることができると思うから。

彼女にとっての仕事、彼女にとっての楽しみを見つけて、いつかそれをわたしたちに教えてくれたらいいなと思っている。彼女が彼女らしくあれるように。

家族、誰1人欠けることなく、毎日それなりに楽しく過ごせるといいな。