空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

御霊神社の木陰のベンチが教えてくれたこと

なんでもない週始まりの月曜日、お休みを貰って朝から江ノ島に出かけた。

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何か明確な目的があったわけではない。休日だと混雑しているけれど平日だと比較的空いている場所で、かつ私が行ったことがなくて、比較的近場で日帰りが可能、そしてちょっと行ってみたいと思える場所。そんな場所を求めて電車に乗った、ただそれだけだ。計画性なんてどこにもない、その場の気分で行き先を決めてみた。

ということで本日は、本当に気の向くまま江ノ島付近を散策して出会った風景を紹介しつつ、考えたこと、感じたことについて簡単に振り返ってみたいと思う。本当に感じたことを羅列する形になるので、まとまりはないかもしれないがご了承ください。

歩きたいし、感じたいし、出会いたいんだ

いつから私は旅に出ることが好きになったのだろう、ふとそんなことを考えてしまうくらいにはどこかに行きたいっていう気持ちが年々強くなっている気がする。

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温泉旅行のように遠出する1泊2日も、日帰り旅行のような近場散策も、ねこ歩きも、観光地でもなんでもない街歩きも、新しいコト、懐かしい気持ち、何度行っても楽しめる全てが、私にとっては旅なのだ同じことを繰り返す毎日にはない非日常だ。

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ちなみに大学生時代はあまり旅にも温泉にもあまり興味がなかった。というかそもそも自由に使えるお金がなかった。けれど特別行きたいところもやりたいこともなかったから、アルバイトでお金を稼ごうなんて考えたこともなかった。

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大学時代の心残りはあまりないほうなのだけれど、今思うとそういう外の世界に目を向ける、興味を持つ、外に出てみるって経験が圧倒的に足りなかったように思う。本当に小さな鳥籠の中で生きていた。家族と私と大学の中で世界は完結していたのだ。

けれど同時にこうも思うのだ。時々だからこんなにも旅で満たされるのであって、毎日がこうだったらすぐに飽きてしまうのではないかって。

あっちに行こうかな、こっちに行こうかな

気がついたらちょっと油断したら、家と会社を往復するだけの繰り返しになってしまう毎日。たまには時間に揺られてゆらゆらり、気ままに歩いて過ごしてみたい。普段、ひとつのことに集中してもいいし、つまみ食いのようにたくさんのことを少しずつ楽しむのもいいかもしれない。

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もちろん普段出来ないことを限られた時間で楽しむのも過ごし方の1つだろう。けれどそれだとなんだか窮屈な気がして。もっとやりたいことをやりたい時に、思いついたときにひょんと飛び出して出来たらいいのに。フットワーク軽くどこかに行ける人間になりたい。飽きっぽいので時々でいいから。

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普段、私が旅行の計画を立てる時は、宿泊先選び、そこに辿り着くための交通手段、途中で寄り道したいランチスポット、電車乗り換えのタイムスケジュール、旅行費用に至るまで綿密な計画を立てる。ひとり温泉旅の場合は大体遠出することになるからだ。出発する前から行きたい場所は決まっていて、当日にはスケジュールをなぞるだけ。

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けれど昨日はそんな私の常とはまったく異なる旅だった。あっちに行ってもいいし、こっちに行ってもいい。寄り道してもいい、事前に決めたスケジュールなんて気にしなくていい、行きたいなら行ってみたらいい。

時間とお金に追い立てられるのではなくて、時間の流れに乗って一緒に相談しながら泳いでいく感じ。速さ重視のクロール一択ではなくて、平泳ぎしたりラッコみたいにプカプカ海に浮いてみたり。そういう過ごし方ってやりたくても中々出来ない。

平日を穏やかにゆるやかに過ごしたい

せわしなく、休む暇なく江ノ島を歩き回った。

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朝9時半に江ノ島入りして日本三大弁財天である江ノ島神社の三社の全てに参拝した。平日ということもあるのだけれど、朝は人がまばらでとても過ごしやすい。

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観光客のお出迎えと言わんばかりにちょこんと木陰に座る島猫に癒されて。

 

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生しらすという言葉に惹かれてランチに生しらす丼に舌鼓。三杯酢と醤油でシンプルに。透き通るような輝くしらすがまるで光が反射する海のきらめきのように見えた。

 

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当初、江ノ電に乗る予定はまったくなかったのだけれど、せっかくだからと江ノ電に乗る。鎌倉まで行くと帰りが大変なので、長谷寺でぶらり途中下車の旅。路面電車している江ノ電を撮りたいがために、次の駅まで線路を辿って歩いた。

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長谷寺といえば有名なのは高徳院の鎌倉大仏なのだけれど、大仏を無視して閑散とした小道に入り人気のない御霊神社へ。この時点で私は歩き疲れていて、足の裏が痛くて痛くて仕方がなかった。どこかに座ってゆっくり休みたかった。

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御霊神社は絶好の江ノ電写真スポットと6月にアジサイが綺麗な場所として有名で、この日は風の音とカメラのシャッター音、カンカンカンと時折鳴り響く踏み切りの音と江ノ電の音が聞こえるだけの静かな神社だった。

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ジリジリと照りつけてくる太陽を遮り、涼やかな風とシンとした空気が漂う御霊神社の木陰のベンチに座ってしばしの休憩。時々鳥居のすぐ外側にある線路を江ノ電が通過していく不思議な光景を見ながらうつらうつら。気持ちいい。

この時なんとなくだけれど、今この瞬間が幸せだなって思った。

なんかもうたぶん、いろんなところを歩き回りたいし。写真を撮りながら散策したいし、時々食べたいものを食べたいし、歩き疲れたら神社のベンチに座って木陰で涼やかに眠りたい。時々でもいいから平日をゆるやかに穏やかに過ごしたい。自分がいつか実現したいと思う生活ってこういうことをいうのかもしれないなって、ちょっと思った。

自分の(目指すモノの)ために働く

今の会社で働き始めてからそろそろ5ヶ月目に入ろうとしている。

新卒で入社した会社を辞めて以来、4ヶ月以上長く働いたことがない私にとって最長勤務実績を更新することになる。これはこれでとても嬉しいことなのだが、過去の私と今の私で一体何が違うのか、働くことに関する向き合い方みたいなものがどう変化したのかがよくわからなかった。客観的に考察しようとしてもうまく出来なかったのだ。

けれど御霊神社の木陰のベンチが教えてくれた。過去の私は自分ではない誰かのために働こうとしていた。入社のきっかけをくれた研究室の教授のために、就職活動を乗り越えたことを喜んでくれた家族のために。特に目的もなく、自分で考えることもなく。

でも今は違ってきている。確かにきっかけは人に貰ったけれど、あくまでそれはきっかけに過ぎない。今の私は自分の目指すモノを実現するために働いている。誰のためでもなく自分のために働いている。

確かに直近の目標はやはり長期的に働き続けることだし、貯金をして一人暮らしがしたいっていう願望もあるけれど、目指すべきゴールはそこではない。

今の仕事を始める時に「一生、この仕事をやりながら、プロになるってことだよね?」と聞かれて「はい」と即答したけれど、そんなことは実はいっぺんたりとも考えていない。バレなきゃいいのだ、私にとって仕事とは何かを実現するための手段なのだから。

本日のまとめ

でも私が目指すトコロに至るまでの道のりは正直いってまったくわからない。実現できるかどうかもわからなければ、今の段階では目指す生き方を維持していくことも出来ないと思う。だからそういう生活がやりたいからといって、いろんなことをショートカットしていきなり答えに飛びつくことは難しい。

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江ノ島神社で今後の私自身についておみくじで占ったら見事に凶を引き当てたので、焦らず気長に控えめに、出来ることからコツコツと。出来ることを増やすためにもコツコツと続けるスタンスはそのままで、これからも働いていけたらなと思っています。そういう働くことに対する私自身の初心を再確認できた江ノ島ひとり旅でした。

行って良かった。いつかこういう生活したいなぁっていう1日だった。