空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

夏と冬だったらどっちが嫌いか

ニートになってからというもの家事の手伝いをしていることが多く、用事がある時以外は外出しないのですが(お金もないし)だいぶ寒くなってきましたね。朝出かける時は、ウルトラライドダウンコートを羽織り、耳あてをつけ、マフラーをぐるぐるに巻き、手袋を身につけることが必須になりました。

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妹に「夏と冬だったらどっちが嫌い?」と聞かれたことがあります。妹は寒いのが苦手なので「冬は仕事をせずに家で冬眠したい」というほど冬が嫌いなそうです。本日は、私がとっさに思いつく冬だからこそ見ることが出来る景色について紹介しながら、「冬」について改めて考えてみたいと思います。

 霜柱をふみふみしたい

冬だからこそ見ることが出来る景色というものがある。
私がすぐに思いつくのは最も空気が冷えている朝に見ることが出来る霜柱だ。小学生時代、家から歩いて30分ほどの距離にある小学校に向かう途中。土を盛り上げている霜柱を足がガリガリと潰すのが楽しかったのを覚えている。ジャリジャリ、パラパラとほんの少し力を入れるだけで崩れる氷を踏みつぶせるのは、一番初めに霜柱を見つけた人だけの特権だった。先を越されてしまうと地味に悔しかった。

小学生の頃は冬の楽しみだったささやかなイベントは、成長するにつれていつの間にかやらないものになってしまった。今は寒くて歩くのが嫌ということもあり、自転車を使うことが多い。するといざ「あ、霜柱が立っている」と気がついたとしても時間に追われ、それを横目に走らなければいけない。それがちょっと悲しかった。だから今年の冬は久しぶりに霜柱をふみふみしたい。きっと子どもの時に感じていたモノを思い出せる気がする。

大人になっても雪だるまを作る

雪が降ると毎年のように私は雪だるまを作る。北海道の雪は水分を含んでいないサラサラな雪なことが多くて雪だるまを作ることには向いていないが、東京の雪はべちゃべちゃなので塊を作りやすい。雪だるまを作るためならば外の寒さなんてなんのその。小学生くらいの背丈の雪だるまを作り、玄関の門番にするのが冬の楽しみだ。

去年、雪だるまだけに飽き足らず、様々な造形を作り上げている写真を見て雪を楽しんでいる人は結構いるんだなぁと思って嬉しくなったことを覚えている。それがあることが当たり前なんだと思ってしまうのは勿体ない。30代、40代になったとしても
雪にはしゃいで、雪かきをしながら雪だるまを作り、雪かきをしながらかまくらを作りたい。

寒い朝しか見れない氷の造形物を見てみよう

最も空気が冷えている早朝。出かける時に息をホゥと吐くと、空気の温度差から白い息が漏れてきた。小さな頃は上を向いて定期的に白い息を吐きながら、蒸気機関車の真似をしたものだ。

霜柱が立ち、外にある水たまりに氷が張るくらい寒い朝、自転車で駅に向かう最中に目に入る道端のツツジの花壇がある。春は赤・白・桃色のツツジの花と甘い匂いが漂う花壇の草花に細かい霜が降りていて、真っ白に凍りついている。それがずっと続いている。自然に出来る氷の花壇。朝日に照らされるとキラキラ光って綺麗なんですよ。これは冬の朝、凍えるくらい寒い日にしか見ることが出来ないのでレアです。

本日のまとめ

冬にしか見ることが出来ない景色を思い浮かべてみると、子どもの頃からずっと楽しみにしていたことを思い出したり、白い息という当たり前のことがまるで特別なことのように思えたり、普段当たり前に思っていた景色が一味違って見えたりして、やっぱり四季があるのっていいよなぁって改めて思った。

「夏と冬だったらどっちが嫌いか?」妹は寒いから冬は嫌いだと言った。確かに気温だけを考えて暑いのと寒いのを比べると、私も寒いのは苦手だ。けれど冬だからこそ出会えるモノ(雪、霜柱、雪見露天風呂、スケート、白い息、寒い日に飲む甘酒、ぬくぬく温まるこたつ等)について考えると、案外冬も好きだなって思いますね。

12月に入ってだいぶ寒くなってきましたが、1月や2月が寒さとしては最も強力だと思うので、流行っているインフルエンザに細心の注意を払いながら、今年も冬を楽しんでいきたいです。冬には大人になるにつれて零れ落ちてしまったモノがたくさん詰まっている、そんな気がするのです。