空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

母校(高校)が、閉校することになった

仕事が終わって家に帰ってくると、ダイニングテーブルの上に、封筒が置いてあって、また捨てるだけのごみになる奴かなと思いながら、何気なく見ると「同窓会に参加しませんか?」というお知らせでした。

「いや、行かないし」と一刀両断したのですが、その後思いとどまって中身を少しだけ覗いてみると、そこに『今年の3年生の卒業を持って、高校を閉校します』という文字がありました。

思い出の校舎がなくなる

閉校すると言いましたが、実際には中高一貫校として、新しい校舎で新しい学校名で生まれ変わるそうです。名前は一部残るようですが、

秋になるとイチョウの葉で埋め尽くされる通学路、

運動靴を脱いで学校で履く学年別のサンダル、

50M走のレーンを斜めに引くしかない狭い校庭、

早朝、掃除をする校長先生の姿がなくなる。

ということで、母校が廃校になったのとほぼ同義でした。

大好きだったいたずらっ子のような先生

都道府県によって、公立高校教員の異動もかなり異なると聞きますが、私の通っていた頃は、高校教員は3年間で異動だったと思います。

残念ながらクラス担任の先生に恵まれた記憶はありませんが、数学、世界史、英語担当の先生方には大変お世話になりました。一番大好きだったのは、図書室の司書教員さんで、図書委員に所属していた時、司書室で昼食を取ることを許可してくれたり、リクエストした本を真っ先に買ってくれたり、委員会で図書館の棚卸しを行った時には「お疲れ様、少し休憩しないかい?」と言いながら、冷蔵庫からいたずらっ子のような顔でシュークリームを取り出したこともあります。

けれど、私が卒業する前に異動になってしまいました。今思えば連絡先を聞いておけばよかったのですが、当時の私はそのことに気がつきませんでした。当たり前ですけれど、お世話になった先生方は もう誰一人残っていないでしょう。

思い出の校舎は、思い出の中で

中高一貫校になると聞き、私たちの通った学校はなくなり、きっと校舎もなくなり、その土地もなくなり、私たちの思い出も内包したまま土に還ってしまうのかと、なんだか少し悲しい気持ちになったりしたのですが。

図書委員になって、司書室に入り浸っていたり、

図書委員会で、学校広報誌を編集していたり、

誰よりも早く登校して始業時間まで教室で寝ていたり、

校長先生が女子トイレを掃除している様子を目撃したり、

勉強についていけなくて、個別指導をお願いしたり。

そんな何気ない高校生活を思い出していて、校舎という物理的な存在はなくなってしまうけれど、きっと学校を卒業した人それぞれの心の中で、確かな姿で、思い出となって生き続けるのかもしれないなと思いました。

同窓会はクラス単位だったり、当時仲が良かったメンツと行きたいです。そこに当時の先生などが参加してくださるのなら、今度こそ当時のお礼を言いたいですね。