空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

悩んだふりをするのは、そろそろ終わりにしよう

1年間という猶予期間が迫ってきている

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新卒で入社した会社を辞めて1年が経とうとしています。自分から一般的なレールを飛び降りたものの、これからどうしたらいいのか分からなくて途方にくれていた当時、図書館で読んだ「しんじゅく若者サポートステーション」という相談窓口のドアを叩き、仕事と働くことを見つめ直す期間として、この1年を使うと決めました。その1年という期限が、もうすぐ私の前にやってきます。

悩んでいるふりをするな

1月末から3月上旬までの仕事を終え、4月中旬から6月末までの仕事が始まるまでに、これからの展開を考えて行かなければという話をしました。もう一度就職活動をして正社員を目指すか、就職活動をせずに生きる方法を考えるか。どちらを選ぶかを悩んでいるという話をこれまでしてきましたが、自分に問いかけます。

  • これからどうするか、自分はどうしたいのか、考えているか?-答えは『YES』
  • 2つの選択肢が浮かんでいるね、どちらを選ぼうか悩んでいるか?-答えは『NO』
  • もう、これからどうするのか方針を決めたのか?-答えは『NO』
  • それは、立ち止まっているだけってことか?-答えは『・・・YES』

ちゅうぶらりんな状態であることは、楽なことかもしれない。どちらも選ばないということは、実際にはなんの解決にもなっていないのだが、 今後のことを考えてネガティブになるという心の動きを避けることが出来るからです。とりあえず、一時的な、その場しのぎの平静は保てる。

怖いから、逃げているだけなんじゃないの?

けれど、本当は知っている。それはただ自分の見えにくい本音だったり、自分の生き方だったり、あるいは人生から逃げているだけだということを。

勿論、逃げたいと思う気持ちもわかる。その先の未来を想うと先に光は見えないし、歩いた先がいきなり崖かも知れなくて、私は怖くてしかたがない。だから本当はわかっているのに、自分の気持ちを隠してなかったことにしたいのだ。小さな木箱に厳重に封をして、湖に投げ入れて、見なかったことにしたい。

でも何時までも立ち止まって、うずくまってもいられない。いつかは向き合わなくちゃいけないし、受け入れて行かないといけないことだ。なんていったって、ほかでもない自分自身のことなのだから。逃げられるはずもない。

何が、そんなに怖いのか?

さきほどから怖い怖いと言っているけれど、何がそんなに怖いのだろう。生きて行くための生活費がなくなることか?友人関係が希薄になっていくことか?どれも危機感を煽ってくるものではありますが、一番気にしているのはやはり他人の目、他人の評価という部分だと思います。

辞めた当初は、同期の人、怖くて苦手な採用担当、先輩社員や上司の方に、駅などでばったり出くわすんじゃないかと思うと、怖くて外に出たくなかったくらいです。

けれど実際には、会社を辞めて8か月経ちますが、街に出て会社の人にばったり出くわすなんてことは一度もありません。自分自身が気にしているほど、他人は人のことを見ていないものです。もしかすると、これが怖い、あれが怖いと、自分自身で周りに見えない壁を作ってみせているだけなのかもしれません。

認めたくないだけで、本当はもう決めている

ここ最近、ずっと家にひきこもって考えていたのですが、久しぶりに外に出ました。運動しなければと思って散歩に出かけたのですが、温かな光の中にいると、自分の頑なな考えを見直さないといけないなと素直に思えました。

本当は、本当はもう決めているんです。

正社員になるための就職活動をまた新たに始めるのではなく、派遣社員、もしくは契約社員として長期的に働く場所を見つけ(どちらにしても転職活動は必要だけれど)、自分の生きやすい仕事や暮らし、幸せを考えていきたいと思っています。家族には言いにくくて、まだ誰にも言っていないことなんですけれど。

「決めた!」と宣言すると、後戻りできないような気がしてしまいますが、振り返ってはいけない、前に進み続けなければいけないと誰が決めたのでしょう。一辺に大きく変わろうとすると、その分だけ抵抗が強くなるので、自分のぶれない軸を見つけた上で、少しずつ進んでいきたいと思います。