空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

「ストレスのない人」という勘違い

「良いストレス」と「悪いストレス」

最近、父親にしょっちゅう「ストレスのない生活を送っているね」と、まるでそうすることがいけないことかのように言われ続けます。いつも「はいはい」と聞き流しているのですが、この言葉は曖昧であまり正しくないのではと思います。なぜならストレスとは、常にあるものだからです。

そもそもストレスとは、外部からの刺激に対して、生体に起こる反応のことを言います。「人間関係のせいでストレスが溜まる」とか「仕事のストレスで頭が痛い」というように、ストレスは悪い方面の影響と考えがちですが、いちがいにそういうわけではありません。

例えば、人前に立って赤面して何も言えなくなってしまうような「悪い緊張」や、なんだか気分が高揚して、舞台の上の主人公のようになれる「良い緊張」あるように、ストレスにも、その刺激や緊張があるおかけで、目標に向かって進むやる気が生まれる等のような「良いストレス」があるのではないかと思います。

ストレスの受け取り方

外部からの刺激に対する生体反応がストレスというならば、なぜ悪いモノと良いモノに分かれるのでしょうか。

おそらくストレスを受け取る側の問題だと思います。例えば健康状態が良い時や、気持ちが前向きな時は、ストレスを受けても、すぐに立ち直ることができますが、元気がない時に同じ量のストレスを受けたら、きっと落ち込んでしまいますよね。このように受け取り方によって、ストレスはその性質をガラリと変えてしまいます。大切なのはストレスに対する考え方であり、受け取り方なのだと思います。

ストレスのない人なんて、いない

「悪いストレス」は、ないに越したことはないと思います。もしストレスが溜まっていると感じた時には、意識的に休憩を取ったり、一時的にでもストレスを忘れられるような、自分にとっての楽しみや趣味に打ち込むことで、ストレスを発散出来るとよいと思います。うまく発散することが出来ないと、それが鬱のような精神的な病気に繋がる可能性があるからです。

けれど、ストレスのない人なんていないと思います。「良いストレス」も「悪いストレス」もないということは、自分の部屋で読書もインターネットもせず、誰とも話さず、寝ているだけのような外部からの刺激が皆無の状態を指します。そうなってしまうと、ただ堕落して、生きる気力もなくなってしまうと思うので、最も危険な状態だと思います。

「ストレス」は全て悪いモノなのだと決めつけてしまうのは、やめましょう。それが「悪いストレス」でないのならば、それはその人にとってためになる「ストレス」なのだと思います。生きて行く上で多少のストレスがある方がいいという時の「ストレス」とは、「良いストレス」のことではないかと思います。