空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

誰か と 何か を 共有したい

「誰かに、この思いを伝えたい」

という風に、感じることがあると思います。私の場合は、ひとり旅で、一泊した旅館で頂いた山菜三昧の夕食がとても美味しかった時、ひとりランチで、落ちついていて長居出来る穴場なお店を見つけた時、ひとり映画鑑賞で、面白かった映画について語り合いたい時などに、ひとりで何かをしている時に、よく思います。

元々、私は、ひとり旅、ひとりランチ、ひとり映画鑑賞、ひとりカラオケ、ひとりケーキバイキングというように、どちらかというと気ままに行動することが好きです。ひとりで行動する利点は、自分で予定を立て、好きなように時間を使えることだと思います。思いにふけることも出来ますし、気を使うような人がいるわけでもないので、気楽です。

けれど、ひとり旅のように、ひとりで行動する場合の短所は、誰かとその時間を共有して、一緒に楽しむことが出来ない点にあります。例えば、夕食を食べている時に「美味しいね」、「何が一番好き?」と談笑しながら、友人や家族と会話を楽しむという要素は、ひとりで行動している時には得られません。すべてが、自分の中で完結してしまいます。今は、スマートフォン片手にTwitterにアクセスして、「山菜美味しい」と呟くことが出来ますが、それは誰かとその時間を共有しているとはいえません。どちらかというと、自分以外誰もいない部屋で、ひとりごとを言っているような空虚すら感じます。

「自分以外の誰かに、気持ちを伝えたい」、「誰かと一緒に、共通の話題で話し合いたい」と切実に思うたび、私の中に「誰かと繋がりたい」と思う気持ちがあるのだと、再確認します。

ところで、私がひとりで行く駅近で、炭酸泉と岩盤浴がオススメな銭湯があります。始めは私だけのお気に入り癒しスポットとして、誰にも言わずに内緒にしていたのですが、やはり次第に、ひとりでお風呂に入るだけではなくて、誰かと過ごせたらいいのにと思うようになりました。

ただお風呂に入りたいなら、家の浴槽で風呂を沸かせばいいだけです。けれど、わざわざ遠くの銭湯や温泉に行くということは、そこにそれだけの意味と価値を見いだしているからです。それは気分転換であったり、ダイエットであったり、デトックスであったり、プチ贅沢であったりするでしょう。私の場合は、お風呂に入るということは「無心」になれる場所であり、リラックスした空間で家族や友人との何気ない会話を楽しむ場所もあります。

ニートの私が、遠い所にある日帰り銭湯施設に、しかも普通の社会人なら働いているような平日の朝に行くことが許されるのだろうかと、悩みました。けれど、母と妹に銭湯の存在を伝えたいと思う気持ちが強かったので、ニートだからこそ平日に平日料金で出かけることができると前向きに考えて、行ってきました。そこに父がいなかったことが唯一の心残りですが、夕食後はそれぞれの部屋にこもり、ベッドで寝るという、会話が少なくなってしまった私の家にとっては、銭湯や温泉は、家族のいこいの場所なのだと思います。

最近は日帰り施設がたくさんありますので、自分の住んでいる所の近くや、小旅行レベルで離れている温泉など、お気に入りスポットを探して、行ってみるのも面白いのではないかと思います。

銭湯や温泉、いいですよ。

日帰り温泉&スーパー銭湯 2013 首都圏版 (ぴあMOOK)

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