空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

ありがとう という言葉

伝えなくては、伝わらない。

「ありがとう」という言葉を最近、使っていないかもしれない。ふとそう思ったのは、家入一真さんの「こんな僕でも社長になれた」という本のp.23にある「ありがとう、父さん」というフレーズを目にした時です。

「ありがとう」という感謝の言葉は、いつでも、どんな時でも、誰でも使うことができます。私も、友人にわからないことを質問して助けてもらったり、大学時代のテスト対策を教えてもらったり、大学の教授に進路相談したり、実際にいろんな所で使っていました。しかし家では違いました。毎日使う感謝の言葉と言えば、食事の際の「いただきます」「ごちそうさまでした」くらいで、「ありがとう」は家族の間ではあまり使ったことがないということに気が付きました。友人や大学の先生、知り合い相手の場合は、普通に使われている「ありがとう」が、家族の間ではその姿をめっきり見なくなるのは、なぜでしょうか?

理由の1つとして、近すぎて気がつかないという場合が考えられます。感謝するほどのことではない、つまりそれが当たり前になってしまっているという可能性です。大学時代は、実家通いだったこともあり朝から夜まで大学で研究をして、家に帰れば御飯が用意されていて、それを食べるのが当たり前でした。「いつも御飯を用意してくれてありがとう」なんて、口にしたことはなかったかもしれません。父親が、私達の生活を支えるために、毎日夜遅くまで働いていることも同じように考えることが出来ます。

2つ目の理由として、つい心配してくれた相手をはねのけてしまう場合が考えられます。例えば、寝坊して学校に遅刻してしまいそうな時、親に「起きなさい!」と怒鳴られたら、「今、起きようとしてたんだよ!」と怒鳴り返して、朝から互いに嫌な気分になったりしたことありませんか?どうしてその時、または学校に間に合った直後に「朝は起こしてくれてありがとう、助かったよ」と 一言言えなかったのでしょうか。その他にも、私をここまで育ててくれてありがとう、心配してくれてありがとうというように、伝えたい言葉はたくさんあるのに、どうしてそれを素直に口に出せなくなってしまったのでしょうか。

今、仕事をしていない私なりに、母親の負担を少しでも減らそうと、朝昼晩の食事準備、片づけ、トイレ、風呂掃除、時折床掃除、(早起きできれば)洗濯物干しを、率先してやるようにしています。今までの「ありがとう」をこめて、私がやりたいと思って、やっています。けれど、家族だとしても、言葉にしなければ伝わらないことだってありますよね。それぞれが違う人間なのですから。

「ありがとう」という言葉は、言われた方も言った方も気持ちが穏やかになる魔法の言葉だと思います。もっと、家族の中で、日常の中、ささやかな気持ちでも「ありがとう」と伝えられるようにしたい、そう強く思います。