空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

さて、これからどこへ行こうか

ふとした時に、すごくいい言葉だなっていう一節に出会うことがある。

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(illustration by くちばしかけた

 

 対象は本の帯でも、電車の広告でも、本でも、漫画でも何でもいい。書かれている言葉が、心に染み渡るというか、響くというか。私がその言葉を、無意識のうちに求めているのかもしれない。言葉で語り掛けてくるのだ、「それで貴方はどうする?」って。

 

 というわけで今回は、すごくいい言葉だなって思った瞬間があったので、その言葉を紹介しながら心に染み渡ったワケや考えたことをまとめてみたいと思います。

 誰かが見とるよ

神さんはどこにでもおるからな。誰かが見とるよ。
(ハイキュー!! 274話より)

稲荷崎高校(兵庫)の3年主将 北信介のおばあちゃんの言葉だ。

 

―――なんていうかね、自分自身の姿と重ねた。

 

そんなにカッコイイ、すごい姿じゃないよ。
どちらかというと、情けない等身大の私だ。

 

 新卒(正社員)を4か月で辞めた時、人生お先真っ暗だと思ってTwitterで吐いていた弱音、鬱的な感じになって、家に居場所がなくて。現状から脱出しようとしてアルバイトしてみたり、派遣登録してみたり。

 

ブラックな派遣会社とトラブって派遣会社の営業さんに呼び出されて、1対1で説教&脅されて心を無にしたり。それでも前に進もうと、ブログを書き始めたっていうのがこの島の原点。そして今、不安定な安定にしがみつきたくなっている自分を見たり。

 

 けど、情けなかろうがなんだろうが、声をあげ続けていたからなのか。色々やってみては失敗しまくったからなのか。それを見守ってくれている人がいて。

 

今の仕事を始めることが出来たのも、そのきっかけを作ってくださったのも。ほんの少しの勇気と小さな縁で出会った人との交流が、ずっと続いてきたからだと思っているし。空想島というブログを(1年間サボッてたけど)続けようと思えるのも、記事を読んでくださっている人たちの声や反応があるからというのもあるし。

 

きっと、等身大の私を、誰かが見てくれているはずだ。
それで、読んでくださっている誰かに何か響くモノがいいなと思う。

 

迷子のままでも大丈夫

ねぇ、きっと 迷子のままでも大丈夫
僕らはどこへでもいけると思う

君は知っていた 僕も気付いていた
終わる魔法の中にいたこと

(BUMP OF CHICKEN「記念撮影」より)

2017.7.5にReleaseされたシングル曲、10月9日に静岡県エコパアリーナでBUMP OF CHIKENのライブに行った時に初めて聞いた。ここが一番好きなフレーズだ。このMVの作りもすごく静的で好み。

 

youtu.be

 

一言でいうなら、泣きたくなった。

 

 私はいまだに迷子のままなのだ。不安定な足場にしがみついて現状維持して。でもどこかにある正解をつかまなくてはいけないと、焦っていたのだ。私の思う「正解」ってなんだ、抽象的で曖昧なモノは何だ。どこかに正解があるというなら、今の私は間違っているのか。

 

迷子はなんていうかつらいのだ、出口が見えなくて、終わりが見えなくて。それでいて隣の芝生は青くて、自分の現状に辟易してどうすればいいかわからなくなる。誰かに言われるがままに資格勉強してみたり。でもその道に進みたくない自分もいて。

 

そんな時に「迷子のままでも大丈夫」なんて声かけれらたら、そりゃ泣くわ。こんなダメな私でも、等身大の私を認めてくれるのかって安心しちゃうわ。

 

けれど、まだ、迷子でいてもいいのなら。
どこにいくのかわからなくても、いいのなら。

 

 歳を重ねるごとに挑戦に臆病になったり、未経験であることに臆病になったり。見栄や恥ずかしさがあったり、否定されるのが怖くて自分の意見を主張できなかったり。そういう、よくわからない鎖にがんじがらめになって動けなくなっているのなら。

 

きっと自分は「どうしたいのか」を、今一度立ち止まって考える時が来たのだ。

 

本日のまとめ

誰かのためじゃない、私のために。

 

 だからといって、誰かのために何かをするのではない。いや、勿論、そういう人もいるんだと思うんだけど。私はあくまで、今の段階では「自分のために」なんだ。

 

会社のためでも、正社員のためでもなく、自分が働きやすくなるために。
家族のためでも、誰かのためでもなく、自分が生きやすくするために。

 

私が「こうなりたい」と思うから、「こうなりたくない」と思うから。「ここから逃げたい」とか「それなりに楽しい生活をしたい」と思うから。それを実現するために走るのだ、走り疲れれば休憩した後に歩くのだ。きっとその繰り返しの先にしか、求めるものはない。ないっていうか見えてこない。何を求めているのかもわからないけど。

 

さて、これからどこに行こう。どうやって、そこに行こう。

 

記念撮影

記念撮影

 

 

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