空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

「会社に行きたくない」と思うことがなくなった

ふと、そう思った。

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(illustration by ふわふわ。り)

いつの間にか、そんなことを考えなくなっていた。それはとても良いことなのだろうと思うし、まだまだやれること自体は少ないけれど、今の仕事は私に合っているなと心からそう思える。よかった。

というわけで、今日は「会社に行きたくないと思うことがなくなった」と思う理由について、久しぶりに今の仕事を振り返りつつ、考察してみたいと思う。

 満員電車と無縁な生活

家から会社まで片道の通勤時間は、約1時間15分くらい。家を出るところから計算しているけれど、単純に電車に乗るだけなら1時間。ちなみに急行を活用すれば45分になり、15分ほど乗車時間を短縮できる。

けれど遅刻しそうな時、電車が遅延している時以外は、急行を使わないようにしている。特に理由はないのだけれど、単純に満員電車は疲れるというのと、電車の中に余裕があると、読書をしたり、ゲームをしたり、Twitterを見たり、ブログを読んだり、好きな音楽を楽しむそういうスキマがあって、それだけで心に余裕が持てる気がするからだ。

どうせ会社についたら仕事をすることになるし、いやおうにも7時間以上仕事について考えることになるのだから、その時になるまでは自分を元気にする趣味に費やしたい派なのだ。会社と家が近い場合はギリギリまで家にいることが出来るのかもしれないけれど、私にはそれが出来ないので、私なりの仕事モードに切り替えるためのスキマ時間は大切。

これがあると心をいい状態に保ったまま、会社にたどり着くことが出来るので、「会社に行きたくない」ということをそもそも考えていないのだと思う。まぁ、だからと言って「会社に行きたい!」と考えているわけでは決してないのだけれど。

 

仕事と休憩時間の区別

今まで働いていた会社は、同期入社の新人はみんな一緒に昼食を食べよう!とか。同じ部署で働いている仲間同士のコミュニケーションを円滑にするために、昼食は一緒に食堂で食べるのが一番いいのに、なぜそうしないのか!とか。よくわからんしきたりがあった。

これは会社の社風というか、風土というか、そういうものによるのかもしれないけれど。休憩時間の過ごし方というのは人それぞれで、息抜きの仕方も異なると思っているので、そういう同調圧力みたいなものがあるのがとても嫌だった。

確かに複数人で1つの仕事、1つのプロジェクトをする上で、部署内の人間関係が良好であることに越したことはないと思うし、それが苦痛でない人もいると思うけれど。私は誰とでもと雑談的な会話が出来るわけではないし、そもそも会話を盛り上げることが苦手だし、人に慣れることに時間がかかる。

仕事をする上での必要最低限のコミュニケーションは仕事をしている時のコミュニケーションで事足りる。仕事というビジネスな関係以上に仲良くなる必要は特にない。仲良くなりたいと思うならそれは自然に出来るはずなので。

まぁいろいろ思いが爆発してガリガリ書き連ねてしまったが、ようは会社での休憩時間は、1人で静かにお弁当を食べながら、Twitterや小説を読みたい派なのだ。誰になんと言われようと、そうするのが落ち着くし、午後の仕事をするための英気を養うことが出来ると思っている。

そういう意味では今は仕事は仕事、休憩時間は各自それぞれの休憩時間という風な自由が当たり前に社内に浸透し認められているので、とても居心地がいいのだと思う。

 

残業はそんなに多くない

今の会社の部署に来て8ヶ月になる。一番初めは割り振られた仕事を期限内に終わらせることに精一杯でそれ以外には余裕がなかったのだけど、期限内に終わらせるための時間配分、品質を上げるためにどこに注力すべきかを考えられるようになってきた。成長したなぁ。

あとは少ない人数で効率的に仕事が進むように仕事の割り振りを考えてくれる人がいて、毎日の進捗を共有する体制が整っていることもあって、出来るだけ残業をしないで済むように会社全体できちんと管理されているから、残業はそんなに多くないと思う。

比較的暇な時もあれば、スタートから納期までが恐ろしく短い仕事が怒涛のごとくやってきて、仕事量に対して人の数が足りなくて、馬車馬のごとく残業をしたこともあるけれど。残業代は全部きちんと出るし、どうしても用事があって残業できない時は考慮してくれる。

「どうしてもムリって時は遠慮なく言ってね、仕事のあとのプライベートが優先だよ」と先輩が当たり前のように口にしていたことが、とても印象に残っている。

 

本日のまとめ

私も新卒4ヶ月で辞めた会社しかり、築地市場内のIT会社にいた時しかり。「会社に行きたくない」と思うということは、根本的に行く前から会社のことを悶々と考えていることが理由の1つにあるのではないかと思う。会社にいる時も、帰宅する時も、食事してる時も、お風呂に入っている時も、ベッドで就寝する時だって。

考えたくなくても考えてしまう、ぐるぐると悩めば悩むほど気分が落ち込んでいく。そういう無限ループにはまってしまうと中々抜け出すことが出来なくなる。わかる。もう考えているだけでつらいし、疲れるし、涙は出るし、動けなくなるし、動悸もする。自分が悪いのかと自分を責め続ければ、そりゃ、会社に行きたくもなくなるわ。

でもいくら考えたって考えているだけでは何も変わらない、考えた先に妙案が浮かぶこともあるかもしれないし、一度立ち止まり自己内省することは自分を客観視できる良いことだけれど。行動にしない限りは所詮考えて悩んでいるだけで、選ばないことを選択しているだけなのだ。

家は自分らしくリラックスできる場所であってほしいから、家には仕事を持ち込まない。仕事に対する悩みを誰かに話すことはあるかもしれないけれど、ぐるぐる悩み続けて自分で勝手に問題を化け物のように肥大化させることはしない。仕事をしている時のわたしと仕事をしていない時のわたしを同一視しない、お金的な意味で繋がっている部分はあるけれど。

ちょっとクールすぎる考え方かもしれないが、こういう風に考えられるようになったから「会社に行きたくないと思うことがなくなった」のではないかと思う。多分なんとかなる。なんともならなそうだったら、周りに存分にヘルプミーするしかないのだ。