危険なハイキング、鶴の湯温泉旧道を歩いてみた
6月から7月にかけて、乳頭温泉郷は高山植物が多数見られる標高1,637.4mの秋田駒ケ岳、ブナの純林に囲まれた木漏れ日溢れる乳頭山の登山・ハイキングが活発になります。登山初心者であっても駒ケ岳8合目までバスで行くことが出来るため、比較的安心してハイキングが楽しめるスポットとしても有名だそうです。
とはいえ、私の第一目的であり最大目的は温泉ただ1択だったので、乳頭温泉郷の各温泉宿をぐるりと囲むように設置されている遊歩道をぶらりと歩いてみることにしました。ということで今回は、乳頭温泉郷ウォーキングマップの中で最も印象に残り、最も危険だと思った鶴の湯温泉郷旧道について簡単にレポートしてみたいと思います。
それではいってみよー。
鶴の湯温泉に至るまでの道は林道です
以下の話は、乳頭温泉郷の湯巡りをする際に利用した湯巡り号の運転手さんから聞いた話なので、ところどころ間違っている部分もあるかもしれませんがご了承ください。
さて鶴の湯温泉の住所を見てみるとわかることなのだが、鶴の湯温泉は国有林の中にある。今は当たり前のように一般客が通ることが出来るようになって鶴の湯温泉に至るまでの道。もともとは国有林を整備・管理するために作られた事業用の林道を鶴の湯まで伸ばしたものらしい。
鶴の湯温泉は1708年に鶴が傷を癒している所を勘助というマタギに発見されたことが始まりとされ、秋田藩主である佐竹義隆が湯治に訪れたとされている。湯宿としての経営は1701年頃から始まっていて、1959年に事業用林道である鶴の湯線が開通した。
とすると事業用林道が開通するまでは一体どこを通っていたのか、それが休暇村乳頭温泉郷から鶴の湯温泉まで伸びている鶴の湯旧道である。
鶴の湯旧道を歩いてみた
ちょっと気になったので、運転手さんに詳細を聞いてみた。確かに途中道幅が狭くて急な斜面もあるけれど、途中につり橋や滝が見えるビューポイントがあり、ハイキングできるように整備されていて1本道なので迷うことはない。休暇村乳頭温泉郷から歩き始めると1時間以上かかるが、鶴の湯温泉旧道口というバス停から歩き始めれば30分もかからない。
ふむ、どうしようか。暗くなると山の中ということで足元が悪くなるので危険なこと間違いなし。さらにスマホの電波がない状態で単騎出撃して本当に大丈夫だろうか?と3時間ほど熟考し、冬には埋もれてしまう遊歩道だし、次にいつ乳頭温泉に来ることが出来るかわからない。今しか通れない道があるなら、そこを通ってみたいという冒険心が勝って通ってみることにした。
ということで、ここからスタートです。まっすぐ突き進んでいく感じです。振り返ってみると自家用車でブンブンと山道を登っていく人々の姿が見える。
というか「あの子何やっているんだ?」という不審者的な視線を感じた。きっとここに忘れられた道があることなんて知らないだろうと思いながらザクザク進みます。
ずっとこういう感じの平坦な道が続くのであればいいんだけど。
一人専用と言わんばかりの道幅の狭さ。これ対向側から人がきたらすれ違えないレベルです。さらに落ち葉が積み重なり滑りやすい、左側は真逆さまなので足を滑らせようものならばどこまでも落ちていけます、もちろん柵はありません。
一応急な場所には歩きやすいように丸太が置かれていて階段状になっていたのですが、落ち葉が積み重なっていて見えなかった。あと真逆さまに落ちる心配がない場所で足をひっかかってこけて足をひねった。お風呂セットを片手に持って歩いてたんですが、これ以降全ての荷物をリュックに詰め込んだ。
道が、、、、、見えないぞ。
足元の草を掻き分けながら進んだ先に小さなつり橋。川が青くて綺麗だった。
手付かずの自然って感じがする。苦労して歩いてきただけのことはある。
だがこの橋は怖いな。まだ壊れる心配はなさそうだが、歩くとめっちゃ揺れた。
いちおうこういう看板が至るところあって、道に迷うことはない。
難所を抜けた。あとはこの車が通れそうな大きな道を歩いていけば、鶴の湯だ。
本日のまとめ
鶴の湯旧道口のバス停入り口から歩き始めて30分程度で鶴の湯温泉に辿り着いた。無事帰還できてよかった。本当によかった。
昔の人が通った道を実際に通って体感したが、細くて急な斜面をくねくねと迂回しながら進む道は危険と隣り合わせだった。あと自然の力がすごくて、時折落ち葉を整理したり道にはびこる草花を排除しなければすぐに山に埋もれて道がなくなりそう。
途中「いやー、ここで対向側からいきなり見知らぬ男性が包丁とか持って現れたら、私、死ぬな」と考えるとゾッとしたので。当たり前な話だけど、山道に1人で入るのは危険である。絶対にやめよう。
馬鹿な冒険心を出さずに、人っ子ひとりいない旧道や山道に入る際には最低2人以上のグループでそれなりのハイキング装備を整えて入ることをオススメする。ちなみにひねった左足は未だにひねっていて、右ひざには青あざをこしらえた。自業自得である。