空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

「今が楽しい」と思うことが怖い

今日で5月が終わる。

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2月から働き始めたから、今の仕事を始めて4ヶ月になる。この4ヶ月という数字は私にとって節目的でもあり、呪いのような意味を持っている。つまりは今まで仕事をやっても、4ヶ月以上続かなかったという魔の数字という意味でだ。

だからここからは先は私の知らない、まだ見ぬ場所へのスタート地点のように思う。魔の4ヶ月から先へ進めることが少し嬉しくもあり、少し怖くもある。

ということで本日は、自分の中で起こりつつある変化みたいなものについて今考えていること、感じたことについて少しだけ整理したいと思う。この感覚が今の私を支えているのではないかと思いながら。

 わたしはわたしが嫌いだった

信頼できる人が私のことをこう表現していた。

何でもかんでも自分でやりたい自分で決めたいと思っているけれど、現状では出来てなくて、だからといって諦めて全てを他人に任せることが出来ない。そんな中途半端でなんかちょっとハズれた変な子

ちょっと意訳しているけれど、多分こんな感じのことを話してくれた。

私がいうのもなんだけど私より私のことわかっているんじゃないか。自己分析ならぬ他己分析、外側から見るとそういう風に見えるのかとすごく驚いた。正直いうと、昔はそういう私が嫌いだった。私は私が嫌いで仕方なかった。

「こうなりたい」と思う理想とするなりたい自分に届かない私はクズ。うまくいかない私なんていらない存在なんじゃないかって本気で思い悩んでいたことがあった。死にたいと何度も思った。何もかも投げ出して、誰もいないところに消えてしまいたいと願ったこともある。

ひとりで何もかも全部やるなんて、そんなの無理だった

うん、そうかもしれない。でも今はそれでもいいんじゃないか。

誰かに頼ってばかり、助けてもらってばかりというのは。私的にはモヤモヤするから出来るだけしたくはないけれど。今の私には全部自分で決めて自分で作って自分でやって生きていくことは難しいのは確かだ。

だったら自分に出来ないことを誰かにお願いするのもアリなんじゃないか。助けてってヘルプするのも(まぁ助けてくれるかどうかはわからないけれど)声を出してもいいんじゃないか。弱いところを見せて駄目な自分をさらけ出したらいけないと、弱みを見せたら駄目なんだと思っていたけど、私がそう思い込んでいただけかもしれない。

うまくやらないといけない、捨てられたくない、そのためにはまだまだ足りない。もっと頑張らないといけないんだと、そうやって自分を追い立ては傷つけて、なんか知らないけれど焦っていたあの頃よりは、少しだけ今の自分と友達になれるような気がしている。これってきっといい変化なんだと思う。

「今が楽しい」と思えることについて

26年経った今、いつの間にか今が一番生きていて楽しいと思えるようになっている。充実しているって言い換えることも出来るかもしれないけれど、私にとっては「楽しい」という感覚が一番近い。

仕事は難しいし、まだまだ注意されることも多いし、うまくいかなくて自分にイライラすることも、人にイライラさせられることもある。仕事なんてやりたくない、ツライ、嫌だ、めんどくさいと思うことだって勿論ある。けれど毎日なんとかやれることをやっていて。それを現状では続けていられる。

家に帰って家族と食事をして、好きなアニメや漫画を読んで、ベッドで寝て、ブログを書いて。飽きっぽい私でも飽きないように時々温泉旅行に行ったり、街を散策する旅に出かけて。そんな当たり前のように思える日常が素直に楽しいと思えるようになっている。

けれど同時に怖くもなってくる。こんなに今が楽しいって思うことはおかしいんじゃないか、いつか自分が立っている舞台が崩れ落ちてしまった時に心が崩壊するほどのダメージを、しっぺ返しを食らうことになるんじゃないか。

心から大きな手を振りながら笑顔でこれを享受してもいいんだろうか。私は今を楽しんでいいんだろうか。変化したことによる不安みたいなものが押し寄せてくる。たぶん私自身がこの心境の変化に戸惑っているんだと思う。

昔は物事に対して楽観的に考えられなかったから。

本日のまとめ

それでも「今、楽しい?」って自分に聞いて、「楽しい!」って笑顔で答えたい。

実際に誰かに面と向かって言うのが難しくても、心の中でスキップしてジャンプしたい。できるなら私が楽しいと思う時に、誰かも楽しいともっと嬉しい。ひとりでいるのは楽だし好きだけど、同時にひとりは寂しいのだ。

この気持ちはとても繊細で、毎日起こる様々な出来事や一時の感情、呪詛のようにネガティブで止まらない感情の波に押しつぶされそうになったり、人生というゲームの中で急所に当たる攻撃を受け流すための処世術であったりに、阻害されてすぐに姿が見えなくなってしまうんだけど、忘れないようにしたい。

例えば目標を達成する時は大きな目標を細かく分割して、すぐにでも出来る小さな目標をクリアしながら自分に自信をつけていくと良いという話を聞くけれど。今が楽しいかどうかを考える時は少し違うと私は思っている。

個々の小さな出来事1つ1つをクローズアップすると、ツライことも面倒なこともやりたくないことも苦手なこともたくさんあるけど、全体を見て楽しい度合いが多ければいい。そうしたらちっちゃな不安も、自分を飲み込もうとする恐怖も気にせずに立っていられるように思う。

今が楽しいって思えることは、世界が色鮮やかに見えるってこと。
色鮮やかに見えるモノたちを楽しみたいって思えるなら、きっと大丈夫。

そんな感じで6月からも私と共に空想島もよろしくお願い致します。