空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

【第5回】短編小説の集いに参加してみた

ずっと参加したくて、いつも気がついたら募集期間が過ぎていて参加できなかった、はてなブログ発の短編小説の集い「のべらっくす」というイベントがあるのですが、今回、ついに初心者枠という形で参加させて頂こうと思います。

【第5回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

「のべらっくす」とは、テーマに沿って三人称短編小説を書こう。または書かれた小説を読んで感想を書こうという試みです。今回のテーマは2月22日といえば「猫」。猫なんて一度も飼ったことがないですが――全て空想で補った。初心者枠があるそうなので、堂々と初心者枠使わせていただきます。

思いつくがままに書き散らした場面をつなぎ合わせながら書いていて、4800文字くらいあるのでお暇なときに読んでくださると嬉しいです。

『サチのおすそわけ』

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サチに初めて出会ったのは、聡が大学生になって人生初の一人暮らしを始めた夜だった。

大学生になると同時に新しい世界を知るために人生初の引越しをした聡は、引越しトラックから大量に運び込まれたダンボールを粗方片付け終え、一人暮らしにしては広すぎる居間の一番目立つところに取り付けた時計を見た。既に22時を回っている。どうりで近所が静まり返っているわけだ。

「はぁ」思わず聡は縁側に腰掛けてため息をついた。

聡はちらりと居間から1つの引き戸を隔てて向こう側にある台所を見る。あるのは空っぽの冷蔵庫とガスコンロが2つだけ。包丁などの調理用具は必要最低限だけ実家から拝借してきたものの、今から料理をする気分にはなれない。

ならば先ほど組み立てたばかりのベッドで寝てしまおうかとも思うが、引越し整理がひと段落した途端「ぐぅぅぅ」と聡の腹時計がおなかすいたと主張してくるのだ。頭の中で古ぼけた天秤が傾く。結局聡はこのままでは満足に寝ることもできない、もう夜も遅いがどこかで食料調達をしなければと結論付けた。 

「あれ、ネコだ」

聡が縁側からひょんと勢いをつけて庭に下りると、道路側から家の中を見えないようにするための生垣の隙間。つまりは玄関の前にちょこんと行儀よく一匹のネコが佇んでいることに気がついた。LEDの白い街灯に照らされたネコは茶色と黒の縞模様の毛並みに艶がある。青みがかった宝石のような瞳がまっすぐ聡を見て微動だにしない。まるで余所者を警戒しているようだった。

「おいで」

聡はその場にしゃがんで、チチチとネコに話し掛けた。けれどネコはまるで反応しない、確かに目はあっているのにだ。宝石のような目がラムネの瓶に入っているビー玉のように思えて、急に聡の胸の奥を突き抜けるように冷たい風がひゅーっと吹き抜けていく。

「今日、ここに引っ越してきたばかりなんだ。早いけどちょっと寂しいんだよ」

聡の口からふと感じていた言葉が漏れ出すと、玄関前に佇んでいたネコが聡の言葉に相槌を打つように耳を小刻みに動かした。気まぐれかもしれないが夜のひと時を一緒に過ごしてくれる気がして、聡はほんのすこしだけ心にほのおが宿るのを感じた。それから聡は自分が空腹だったことも忘れて、小さな住民との会話を楽しんだ。

けれど小さな住民は耳を動かして相槌を打ったり、尻尾をゆらりとくねらせるだけでいまだに聡の家の境界線を超えて、中に入ってこようとはしない。招かれなければ、他人の家に踏み入ってはいけないというような信念を持っているのかもしれない。聡は立ち上がって家の鍵を閉め、ネコに近づいた。ネコは聡を見上げるだけで逃げようとはしなかった。けれどどこか何かを待っている気がする。

「サチ。僕は今からでも御飯が食べられる場所に行きたいんだ。一人だと寂しいから付いてきてくれるかい?」

聡は少し前までゆったり歩いてそれから振り返り、今だに凜と背筋を伸ばしている小さな住民にお願いをした。サチという名前をつけたのに特に理由はない。生まれてこの方ずっと過ごしてきた実家を出て、大学生になると同時に知らない街に飛び込んだ聡と夜の寂しい時間を一緒に過ごしてくれたネコ、ささやかな幸せをくれたから一文字取ってサチだ。

聡が辛抱強くサチの様子を見守っていると、やがてまるで私にまかせてといわんばかりにぴょんと走り出し、聡を追い越して一定距離離れると立ち止まって振り返った。どうやら小さな住民が道案内を買って出てくれるようだ。まるで本当に聡の言葉を理解しているような気がした。

「ありがとう、心強いよ」

聡は楽しそうにぴょんぴょん跳ねて歩くサチに呟いた。

* * *

街灯とサチの毛並みだけが夜道をぽつんぽつんと照らしている。彼女がぴょんぴょんとまるで川の水辺を切っていく飛び石のように跳ねていく。聡はその姿を見失わないように数歩後ろから追いかけた。

しばらく大きな通りを直線的に歩き、2~3本目の路地を右に入る。そこは家と家の隙間を抜けていくような小道だった。勝手知ったる我が庭と言わんばかりにスルリと隙間道を通り抜けていくサチを羨ましく思いながら、聡は時折お腹を力を入れて引っ込ませたり、かがんだりしながらサチを追いかける。急いでいるわけでもないのに息が切れ、額からタラリと汗が流れた。

「サチ、一体どこまでいくの」

聡が先を行くサチに尋ねると、サチは路地を抜けたところで振り向いて一声鳴いた。もう少し、もう少しだよと言われている気がするから、不思議に思う。

(あぁ、こんなにわくわくするのはいつぶりだろう?)

そしてまるで知らない街を冒険している探検家のような気持ちになってくる。疲れているはずなのに楽しくてしかたがない。聡はいつの間にか自分が引越し整理で疲れていたなんてことは忘れてしまっていた。

やっとのことでサチの道を通り抜けた聡は、目の前に夜中であるにも関わらず、煌々とオレンジ色のあかりが灯っているお店があることに気がついた。開店していることを示す暖簾がかかっていて『朝香屋』と書かれている。引き戸である入り口にはめし処という張り紙がしてあり、店内からはにぎやかな声が聞こえている。どうやら夜間営業している定食屋さんのようだ。

聡は一息つくと、自分は一体どこまできたのかと周りを見渡した。少し離れたところに商店街のアーケード入り口が見え、入り口の目立つ所に設置されている大きな時計の針がちょうど22時10分を回ったところだった。

(家を出てから、まだ10分しか経っていないのか?)

聡は不思議な感覚に陥った。引越ししてきたばかりで土地勘がないのだから仕方がないかもしれないが、入居する前に自宅である古民家から商店街までは徒歩15分かかると聞いていたからだ。

「いつまで突っ立ってんだ、入るのか入らないのかはっきりしろ―――おや?」

聡がぽかんと賑やかな定食屋の前に立っていると、ピシャンと店の引き戸が開かれた。出てきたのは桃色と白の水玉模様という可愛らしいエプロンを身につけた強面の男性だった。

「壱子、今日はずいぶん珍しい子を連れているじゃないか」

おそらく定食屋の店主だと思われる男性――顎ひげが立派なのにファンシーな様相なので聡は吹き出しそうになったが、いきなり失礼だろうと表情筋が緩まないように力を込めた。しかしおまえの考えていることなどお見通しだと言わんばかりに、店主はギロッと聡をにらみける。なじられるかと思いきや、聡の足元にいる小さな住民を見つけて、店主はつっけんどんな口調を和らげた。サチだ。

「このネコ、壱子というお名前なんですか?」

聡は話の糸口を見つけたとばかりに尋ねる。

「俺はそう呼んでいる。けど他にもチョコとかいろんな名前がある。この商店街の顔、看板ネコみたいなもんだ。そんなことも知らねーのか?」

店主が入り口に屈んで手を伸ばすと、壱子と呼ばれたサチは強面店主に甘えるように近づく。店主は慣れたようにサチの頭を撫で、サチもサチで気持ちよさそうにされるがままになっていた。サチに会ってまだ数分しか経ってないが、聡にもその信頼関係は見て取れた。

「今日、ここに引っ越してきたばかりなんで」

聡は淡々と答えた。

「それで壱子に認められたのか!そいつはいい。記念に俺と壱子の出会いを聞かせてやろう。何、この商店街の一員になる知っておくべきさ。そんじゃま、中に入んな。おごっちゃる」

スッと優しく壱子を抱き上げたと思ったら、店主はパッと満面の笑みを浮かべてそう言った。そのまま『朝香屋』と書かれた定食屋の扉を開けたと思ったら、中にいる人に客に声をかけた。

「おーい新しい住民が来たぞ、人間の方のな!今日は宴会だ!」

* * *

聡はすっかり住み慣れた一人暮らしにしては広すぎる我が家を見回し、居間に広がるダンボールを見て、引っ越してきたばかりのことを思い出した。あの頃もこんな風に一人で引越し整理をしていた気がする。ただあの頃と違うのは、大学を卒業した聡が仕事先である地方に転勤になったことだろう。引っ越すのだ。

この商店街に住んでいる――サチ、壱子、ブルー、チョコ――様々な名前で呼ばれ、商店街の住民たちが共同で世話をしているネコと商店街の住民と過ごす賑やかな毎日が終わってしまうと思うと、クッと胸の奥から苦いモノがせりあがってくる気がする。

(そういえば最近忙しくて、サチに会っていない気がするな・・・)

今でもサチに連れられて訪れた夜にしか営業していない変わった定食屋『朝香屋』と店主である朝香さんと商店街に捨てられていたネコの話を思い出す。生まれ育った商店街が廃れていくのを黙って見過ごせなかった朝香さんが、商店街のそばで学生や仕事帰りの会社員のために開いた夜営業の定食屋。とある雨の日に、軒先で捨てられたと思われる野良ネコを拾ったこと。

これも何かの縁かと思い、ネコを育てることにした時「一番初めの子ども」という意味を込めて壱子と名づけたそうだ。成長した壱子はまるで恩返しをするように朝香屋の看板ネコとして働き、同時に商店街の小さくて可愛い住人として愛されてきたというのだ。ネコの代名詞ともいえる気まぐれな行動は一体どこにいったのか。

人の気持ちを機敏に感じ取って、その気持ちに答えようとするサチの顔を思い出す。付いていけるペースを保ちながら先導し、時にはスッと背筋を伸ばして隣に立ち、伝えたいことがあるのだとこちらを静かに見つめる深い青みがかった瞳。朝香さんの話を聞きながら食べた日替わり定食、聡の足元でバリバリと鯵の干物を噛み砕くサチ。聡はきっとあの日のことを一生忘れないだろうなと思った。

聡が懐かしいことを考えていたからか、フッと視界に丸い黄金色の物体が横切った気がした。そんなまさかと思いながらも、聡はバタバタと小走りで縁側から外に顔を出した。

「サチ!」聡は思わず大きな声をあげてしまった。

4年前の記憶と寸分違わぬ我が家の入り口にサチが立っていたからだ。サチは周りの安全を確かめるように耳を小刻みに動かし、一声鳴くと「ついてきて」と言わんばかりに腰をあげてゆっくりと歩き出した。

聡は何の疑問も持たず、縁側で自分の靴を履くと急いでサチの後を追いかけた。あの時と同じようにサチは聡の前を先導して歩き、時折ついてきているかどうかを確認するように振り返った。時折立ち止まって周りの様子をじっくりと観察する。サチは安全を確保しながら家と家の隙間道をいくつも通り、時には塀の上を伝いながらズンズンと進んでいく。

聡が一体どこに連れて行かれるのだろうと思っていると、やがて小さな空き地が目の前に現れた。使い古した冷蔵庫や箪笥、洗濯機が放置されている。商店街とは反対側の閑静な空き地、というよりは粗大ゴミ置き場と化している一角だった。サチがパッと洗濯機に駆け寄ったと思ったら、一瞬で姿が消える。聡はどこ行った?と恐る恐る洗濯機の中を覗く。

「これを見せたかったんだねサチ。おめでとう、お母さんになったんだね」

電源の入っていない洗濯機は捨てられたとは思えないほど綺麗で、本来洗濯物を入れる場所でもみくちゃになりながら小さな命が息づいていたのだ。空から迫る天敵に見つからないように、突然の雨に降られないようにと洗濯機を守る屋根の役割を担う畳はご丁寧に三角屋根のように固定されていて、横倒しになった箪笥の引き出しには、色とりどりのタオルが敷き詰められている。まるでサチのためにある家だった。

サチは小さな子どもたちの様子を確認すると、聡をじっと見上げてきた。とても優しい、けれど凜とした大人の顔つきをしていた。サチの幸せと内緒の秘密を教えてくれたような気がして、聡はまるで自分のことのように嬉しくなった。

「ありがとう。サチのおかげで引っ越してきて4年間、とても楽しかったよ。本当にありがとう」聡は自然と感謝していた、じわっと胸が熱くなるのを感じた。

サチも聡の思いに答えるように「にゃーん」と一声泣いた。