空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

「学生のうちに遊んでおけ」という言葉が嫌いだ

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世界ふれあい街歩きから見る日本

突然ですが、世界ふれあい街歩きという番組が大好きです。特に路地裏、旧市街が好きなので、いつか行ってみた海外ピックアップも出来るし、気候、食べ物、人の性質などを疑似体験し、海外の街を散歩したかのような気分になれるところが、お気に入りです。

昼食後のお昼休憩が3時間近くあったり、仕事が終わった後に友人との時間を楽しんだり、景色のよい公園に寝そべって沈む夕日や海を眺める人がいたり、海外で過ごす人たちを見ると日本で当たり前だと思われたことが崩れ去るので、見ていて新鮮な気持ちになります。時々、羨ましくもなります。

日本と海外を比べることは難しいことですが、就業時間を超過して残業するのが当たり前、飲み会では上司や仕事の愚痴ばかり、仕事から帰ってきて倒れるようにして眠る。日本人における生活水準は天と地に二分されていて、学生時代は就職という1本のレールしかないんだという風に教えられ、社会人は「遊べるのは学生の時だけ」「後悔しないように遊んでおけ」みたいなことを言います。

それ、アドバイスじゃないから

この言葉は学生時代によく聞いた言葉でもありますし、ニートになって行った(社会人が多かった)イベントでも聞きました。

この言葉・・・好きなんですか?

それとも自分が社会に出て働き始めて、時間に一番余裕があった学生時代にいっぱい遊んでおかなかったことを後悔したから、これから世に出る人には自分と同じ思いをしてほしくないという思いから出たアドバイスのつもりなんですか?

アドバイスでもなんでもありませんよ。

この言葉を聞いて「そうか、社会人て大変なんだな。今のうちに、精いっぱい遊んで悔いの残らない学生生活を送ろう!」とでも思うと思っているのでしょうか。

いえ、そういう風に考える人もいると思いますし、実際に学生時代のような余裕は少なくなるでしょう。それでも私は「あー、働くのいやだなー。こんな風に人生諦めちゃった大人になるのかー」と不安になりました。そういう人たちの、どうにもならない悲痛な叫びを聞かされる側にもなってほしいものです。

どれほどの「真」社会人がいるのか?

ここで勝手に、仕事も遊びも両方やれる人が社会人としての本来あるべき形、「真」社会人だと妄想してみます。

朝起きて、ニュースを見ながら朝食を取り、電車に乗って出勤。いつもどおり就業時間、しっかり働いて、終業時間にきっちり退社。久しぶりに友人に会いたいなと思って、電話して待ち合わせして夕食を食べる。夜に帰宅して家族との時間を過ごし、趣味や習い事に時間を使う。どうしても行きたいイベントがあったら、迷わず有給を使う。働いて→休暇を取ることに罪悪感などない、そんな生活。

中には仕事と遊びのどちらの条件も満たしていて、人生豊かな人もいると思いますが、仕事があっても遊ぶ時間的余裕がなかったり、飲み会で仕事の愚痴を漏らす人、休むことに罪悪感を覚える人、「学生時代にもっと遊んでおけ」という無意味なことを言う人たちのように、あちらが立てばこちらが立たずな、社会人でない人が多くなるように思います。ちなみに私も遊びが立っても仕事がないので、社会人ではありません。

働き始めると「仕事が忙しいから」という理由でやりたいことを後回しにして、後悔したり。仕事のことがいつ何時も頭や体から離れない、仕事中心の生活になっちゃうんですよね。

もっと自分を楽しませてあげる、自分の心と体が喜ぶことに時間を使うということを、学生であろうとなかろうと、社会人だからこそ、大切にすると良いと思っています。学生の本分は勉強だけど、遊んでいいよ。そして社会人も遊ぶといいよ。

本日のまとめ

いつの間にか忘れてしまいがちですが、私達は豊かな人生を送るために働いているはず。

「私の趣味は○○でね、いつも仕事が終わった後に、××を習っている」とか。「仕事が終わった後は、仲の良い友人と食事に行くことがよくあるよ」とか。「仕事はこの時間まで、それから後はプライベートと家族と過ごす時間だ」とか。そういう風に働く人の言葉や姿が増えてくると、学生時代でも仕事に対するビジョンが描きやすくなるんじゃないかなぁと思います。

もしくは約20万くらい貰える正社員とその他非正規社員。もしくは社員ですらないような、両極端な生活スタイルではなくて、1万、3万、5万、7万、10万みたいな、2万刻みの生活スタイルがあればいいのになぁと思います。それぞれの生活スタイルで暮らす人たちを見て、自分にあったものを選択するような幸せがあればいいのに。

「学生時代に遊んでおいた方がいいよ、社会人になると自由がなくなる(白目)」みたいな、社会に出て働く人の悲痛な叫びを呪詛のように聞かされるより、よっほどいい。