空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

私の過ごした2002年と日本カルチャーとの関わり方

けいろー(id:ornith)さんの、

平成元年生まれが過ごした2002年の文化圏(当時中1) - ぐるりみち。という記事を読みました。

同じ年代に生まれた人が何を見て、触れてきたのかというのは、本当に人それぞれ。中学や高校のクラスで言葉だけで自己紹介をするよりも、ひととなりも想像しやすかったり、とても面白いなぁと思いました。別に隠していませんが、私も平成元年生まれ。1989年2月11日生まれ、建国記念日、毎年休み、わかりやすい!

ということで、今回は私の2002年を紹介したいと思います。雑談になりますので、暇な時、暇つぶし的にお読みください。べ、別に、記事のネタが思いつかなかったとかじゃないんだからね!

日本のカルチャーに触れる機会がほとんどない

まず、日本にいませんでした。

ちょっと両親の仕事の関係で、当時タイのバンコクで暮らしていたので、日本人が多く住む地区に住んでいて、日本人学校に通っていたものの、日本のカルチャーに触れる機会がほとんどありませんでしたね。

海外で見ていたテレビチャンネルといえば、天下のNHKだけ。日本のニュースと、やたら頻繁にやりまくる天気予報のみ。完全に日本のカルチャーに置いて行かれた感じでした。なので当時流行っていたこととか、何も知りません。

【テレビ】ビデオ屋で1週間遅れで楽しむスタイル

そんな中で毎週楽しみにしていたのが、現地のビデオ屋通い。日本で放送されていたアニメやドラマを録画したテープを借りるのが楽しみでした。1週間遅れくらいで見る感じでしたが、日本のアニメを見る唯一の場所でした。ちなみにビデオ屋に通いすぎて、店員さんに顔を覚えられていたのか、カードを忘れたとしても、顔パスでビデオを借りられました。マイペンライ、この適当さ加減がすごい。

中学生になるまで、実はあまり映画を見たことがなかったのですが、母に勧められて見た金城一紀作の小説が原作の「GO」は、在日韓国人や差別といったシリアスなテーマを扱っているにも関わらず、決して暗く重くなりすぎず、むしろ爽快さを感じるような型破りな内容で衝撃を受けました。

GO [DVD]

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ドラマでお気に入りだったのは、GO繋がりで知った常盤貴子窪塚洋介が主演の「ロング・ラブレター〜漂流教室〜」です。

ロング・ラブレター~漂流教室~ Vol.1 [DVD]

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突然、地響きが起こり、学校の校舎ごと未来の世界にタイムスリップしてしまい、巻き込まれた高校生と先生たちが、自分たち以外誰もいない世界でサバイバル生活を送ることになる。その世界に住む新しい人類が存在したり。ありえない展開だらけだけれど、そんな世界の謎を解明し、元の世界に戻るために奔走する、そんな内容だったと思います。毎回、毎回、様々なことが起こり、ストーリーに引き込まれました。

そして「窪塚洋介」繋がりで、ピンポンを知ることになるわけです。当時の映画、ドラマのきっかけは、ほとんど「窪塚洋介」だった気すらします(笑)

【漫画】古本屋で安い本を読んでいた

タイは日本に比べると物価が安い国でしたが、輸入してきた日本のモノは話が別です。今はそうでもないかもしれませんが、日本の漫画や書籍を買いたい時は、品ぞろえのいい紀伊国屋書店バンコク店に行くのが一般的でした。ただ(ここらへんは記憶があいまいですが)ジャンプなどのサイズの単行本(410円)が円に換算すると1000円するくらい高かったので、あまり購入すること出来ませんでした。日本ではふつうに買うことが出来る漫画が、とても高価なものでした。

時折自分の御褒美としてお小遣いで漫画を買ったりしたものですが、普段は近所の古い日本の漫画を取り扱っている古本屋に入り浸っていました。よく読んだのは、遊戯王、コナン、ぬ~べ~、ヒカルの碁ですね。1冊5~10バーツ(15円~30円)で借りることが出来ました。

あとは学校の友達が持ってきていた漫画を借りてました。当時、仲が良かった子が持っていたあずまんが大王が大好きでした。日常を切り取ったどこにでもありそうな日常4コマなのに、なぜこんなにも面白いのか。友達に全巻借りて読んだだけでは飽き足らず、最終的に全巻買いました。

あずまんが大王 (1) (Dengeki comics EX)

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【音楽】学校の構内放送が頼り

日本の音楽情報を入手する場所は、学校の昼食時と下校時間に委員会メンバーが独断と偏見で選んで流しているCD音源のみでした。CDもバンコクで買うことも出来ますが例にもれず高いので、仕事の関係で日本に一時帰国する父に買ってきてもらっていました。「BUMP OF CHICKEN」に出会ったのも、学校音源がきっかけだったように思います。ちょっと記憶があいまいですが。

jupiter

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あとはよく聞いていたのは、ヒーリング・オムニバスCDである「image」。これは現地で買ったように思いますが、第1作の7番目に収録されているゴンチチの「放課後の音楽室」という曲が大好きで、自ら放送委員になり、下校時間に流していたりして、教師に「しぶい選出だなぁ、なんでゴンチチ知ってるの?」と言われたりしてました。

【その他】インターネットとの出会い

日本人地区に住んでいたこともあって、日常生活は日本語でOK。バンコクは料理も美味しいし、気候もカラッと暑く安定している。唯一不満だったことと言えば、遊ぶ場所がほとんどなかったことでした。友人も住んでいる地区とマンションが離れていたので、一緒に遊ぶことも難しくて、いつも漫画を読んだり、アニメを見たりするだけで、1人遊びする毎日でした。

そんな私を哀れに思ったのか、父が使い方を教えてくれたのがパソコンでした。といっても、インターネットとメールの使い方を教わっただけですが、チャットが流行り始めた時でもあって、MSNで友人とチャットをしたり、チャットルームを開設したクラスの男子の紹介でクラスチャットをしたり、離れた場所にいる友人と会話できることに感動しました。

私とパソコンとの関わりが始まった時ですね。

本日のまとめ

2002年と聞いてもほとんど何も思い出せない。当時何をしていたっけかと思っていたのですが、出てくる出てくる、懐かしい思い出たちが。

こうして改めて見てみると私にとって2002年というのは、暮らす環境がガラリと変わり、目につくもの全てが真新しく、新鮮に感じた年であり、様々なことに興味を持ち始めた年だったのだと思います。

ここから始まる中学3年間は、小中高大学という学生生活の中で一番気ままで、楽しかった時代だと記憶しているので、当時を思い出して、ちょっと懐かしくなったりもしました。あの頃を過ごした場所が、今どんな感じなのかいつか見に行きたいです。