空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

7月7日は七夕、今年も短冊に願いを込めました

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7月になりました。

今日、4日ぶりに外に出かけました、理由は3つ。1つは去年使った国民年金の若年者納付控除の申請書類を提出に行くため、2つ目は7月末に利用予定の青春18切符を購入するため、3つ目は1か月間借りていた本を図書館に返却するためです。

それらは滞りなく全て達成でき、夏特有のねっとりとした蒸し暑い空気を避けるようにして入った近所の図書館に、夏の風物詩ともいえる笹の葉と短冊が置いてありました。過去3回書いた願いが全て成就していることもあり、吸い寄せられるように、私は短冊を手に取りました。

なぜ七夕に短冊をつるして、願い事をするのか?

昔は裏山から笹の葉を拝借してきたりして、自宅の庭で折り紙を切って作った七夕飾りや短冊を下げたり、「笹の葉さ~らさら~」から始まる歌を歌ったりしたものですが、そもそもなぜ短冊に願いを込めるのでしょうか。

京都の地主神社のHPに掲載されていた七夕の歴史と由来が、とても分かりやすかったので一部引用します。

もともと日本の神事であった棚機(たなばた)、おりひめとひこぼしの伝説、奈良時代に中国から伝来した乞巧奠(きこうでん)という行事が合わさったものと言われています。

 

棚機(たなばた)とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々の穢れを払うというもの。乞巧奠(きこうでん)は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれました。

 

これらが組み合わさり「二人のように、願い事がかないますように」と短冊に色々な願い事を書いて、笹や竹の葉に飾るようになったと考えられています。

(参考:地主神社の七夕特集

 小さな頃は昔からある日本の行事だと信じて疑わなかったのですが、いろんな考え、行事、言い伝えが組み合わさって現在の形があるのですね、知りませんでした。

「希望的観測」ではなく「根拠のない断定」で

願い事を言葉にして書く時ってどういう風に書きますか?流れ星に願い事をする時と同じで、特に意識せず「~できますように」「~なれますように」という風に希望的観測で考えることが多いのではないでしょうか。

最終的にどんな人生を生きたいのか、何をしたいのかを決めるのは自分自身なので、願い事をする時は、根拠がなくても何でもいいので「~になる」「~する」という断定表現を使うと良いと思います。自分の意思と意志を言葉という言霊にのせ、それを実現するための行動をすれば、自然と自分の思う姿や形に辿りつけると思います。

むしろ考えないで、書いてみる

前々から短冊に書く願いを考えておこうと思っていたのですが、特に何も考えずにこの時を迎えてしまいました。けれど、意外と短冊を眼の前にして、何を書こうか悩んだりすることなく、サラリと書きあげることが出来ました。何を書いたかは秘密ですが、欠かすことなくずっと考えてきたことがスッと私の手を伝って出た気がして、そこに今年の大きなテーマを改めて見ました。

また願い事と身構えて書こうとすると、頭が真っ白になってしまう場合は、出来ればそう簡単に叶えることが難しい大きなモノ、叶うと今年1年良い年だったと思えるようなことを書くと良いかもしれません。

本日のまとめ

七夕は7月7日、来週の月曜日の夜。

探してみると以外にも様々な場所に笹の葉を飾り、ご自由にお書きくださいと短冊と筆ペンが置いてあるお店があります。

毎日をつづかなく生きて行くだけで精一杯、自分は何をしたくてどこに行きたいのかわからなくなりがちの今。今年も半分が終わって残すはあと半年。この機会に、残りの時間をどう生きるか考え、夜空の星と神様と自分に向けて願いを込めてみてはいかがでしょうか。