空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

初めて、実家を出たいと本気で思った

負の気持ちは伝染しやすいので、あまり愚痴のようなことは言いたくないのですが。最近、自分の家に居場所ないなーとよく思います。今年妹が大学を卒業して就職したからかもしれないし、(自分ではあまりわからないが)定職についていないことに負い目を感じているから、そう感じるのかもしれません。

叱咤してるの?滅多刺しにしてるの?

毎日顔を合わせる父親の言葉は、穏やかな水面に一石投じ、私の精神を極端に不安定にさせるだけでなく、小さな希望ややる気の灯を吹き消さんばかりの威力を持っています。

例えば私が久しぶりに買った漫画を、ホクホクした気持ちで読んでいると「また漫画なんか買って」「そんなことにお金を使う余裕があるな」と爆弾を投下してきます。大好きなアニメを見ていたり、興味のあることをやっていると「おまえは幸せそうだな(笑)」みたいなことを言ってきます。

……どういうつもりで、こういうこと言うんでしょうか。

いつまでもフラフラしているなよ、その場所がゴールじゃないんだぞと心配して、叱咤しているのでしょうか。真相は定かではありませんが、ひねくれた私には弱い立場の人間を叩いて、自分を正当化したいように思えますし、こうあるべきだという理想を押し付けてきているようにも思えます。

正直、馬鹿にしてんのかと思う

発せられる言葉の裏に、おまえは遊んでいる場合じゃない。遊んだり楽しんでもいいのは、きちんと働いている人間で、おまえにその資格はない。漫画を買ったり映画を見る暇があったら、お金をためるべきだし、定職につくことが最優先。○○やりたい、○○行きたいとかそういう夢みたいなことは、お金が溜まるまで我慢しろと言われているのと、同じっぽいなと思いました。

確かに年金は若年者納付猶予制度で払っていないけれど、実家暮らしをするために家賃代わりに家に入れるお金(月3万)は払っているし、携帯料金も毎月自分で支払っているし、毎日の家事(夕食の片づけ等)も出来るかぎり手伝うようにしているし、大学院の奨学金返済(年1回、6万)も自分の給料から出しています。1人暮らしで自立している人に比べると、それくらい当たり前だと言われてしまうかもしれないが、私の家で決められている、家族の一員としての一定の役割は果たしています。

それなのに、この言われようです。私みたいな定職についていない非正規労働者は、もう好きなことにお金を使っちゃいけないの?ささやかな楽しみや癒しさえも、奪われて当然なの?自分で稼いだお金なのに、なんでそこまで言われなくちゃいけないの?と考え出すと、なんだか泣けてきます。

定職に就くことが全てか?いや、違う

確かに長く働ける仕事を見つけることは、今後生きて行くためにも必須だと私も思います。けれどだからと言って、大学生の時のようにただ流されるまま転職活動をすれば、今までの状況が万事解決するというわけではないということを知っています。とりあえず働くことで見えてくるものもあるかもしれませんが、それがなかったから今の私があるのだとも思います。

次の仕事を見つけることそれ自体が、今はとても難しいということもわかります。えり好みしてんじゃねぇ、世の中そんなに甘くないと言われてしまうかもしれませんが、それでも私は前職に勤めていた頃の二の舞になることだけは避けたいと思っています。

やりたいことが出来る自分になりたい。それが自分の自信になると思う。確かにそれがお金になるわけじゃないし、仕事を見つける、働くという意味では、意味のないことに見えてしまうかもしれないけれど、私にとっては今後生きて行く上でとても大切なものだと思います。だから横からいきなり入ってきて、「こんなことは無駄だから辞めろ!」と言ってほしくないのです。

次の目標は「1人暮らしをする」こと

ヤバイ、家を出たい。いや、家を出よう。
1人暮らしをするという目標のために、働こう。

家賃+食費+携帯料金+交通費を今の仕事で賄っていけるかというとそれは無理だと思うので、すぐには出来ませんが、まずは長期的に働ける仕事を見つけたいと思います。

将来のために、今楽しむことを全て我慢するのではなくて、「今を楽しく、豊かに生きる」選択をして、小さな幸せを積み重ねていきたいと思っています。だから例え「おまえは駄目人間だ」と言われようと、それはその人の価値観に、私が合わなかっただけ。別に私はだめじゃない、そう考えることにします。

 

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