空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

今あるものを、楽しむということ

 平日に映画を見るのは、いけないことなのか

昨日、平日の昼間に「劇場版 空の境界」を見に行ったら、両親に「余裕だね」と言われました。

「余裕だね」という言葉には、平日はほとんどの人が働いているのだから、「遊んでいていいはずがない」というような意味合いがあるように感じます。普通、社会人であったら、平日に映画なんてもってのほかでしょう。週休二日制であるところがほとんどでしょうから、休日といえば土日です。

けれど、本当に休日は土日祝日だけと決まっているのでしょうか。私は旅行に行くことが好きなのですが、社会人(正社員)時代、旅行に行くと常に割高でした。平日に休みがあれば1万円以内で宿泊できるのに土日は休日料金になりますし、ゴールデンウィークなどの行事の時は特別料金になります。それは、勿体ないというか効率が悪いと常々思っていました。もっと働く時間と休む時間をクリエイトできるといいのになぁと思います。

ただ、自分の時間を拘束されるけれども、金銭的には潤うのが正社員の良い所で、金銭的には微妙かもしれないけれど、自分の時間を自由に使えるのが、ニート、アルバイター、派遣社員の良い所だと思います。

今あるものを楽しまずに、いつ楽しむのか

両親の目線から考えると、貯蓄もほとんどない状態で、年金を支払うことも出来ず、健康保険も親の扶養に入っている状態で、よく遊ぶ余裕があるねということだと思います。つまり、今後のために貯蓄することが最優先と考えが前提です。楽しみはあとに取ってけということですね。

けれど、一体どれだけ貯蓄するつもりなんでしょうか。そもそも、遊んで暮らせるお金を蓄えることなんて、出来るんでしょうか?当たり前ですけれど、先の未来のことなんて、誰にもわかりません。お金を溜めたものの、突然の事故で死亡ということも、ないとはいえません。

それでしたら、今あるものを楽しむことの方が、私にあっていると思います。お金(収入と支出)や自分自身の時間を、自分の中でやりくりをして両立させていく方が、毎日が楽しくなりますし、活力が湧いてくるように思います。

「やりたいこと」と「充実」とは何か

親によく「今の生活は充実しているか?」と聞かれます。そのたびに「充実」が何を意味しているのかよくわかりませんでした。未来に投資して資格試験の勉強をしていたり、今あるものをよりよくするための行動を起こしている時のような、真面目に取り組んでいることが「充実」なのでしょうか?

私は、「充実」には2種類あるように思います。それは「今そこにある充実」と「タイムラグのある充実」です。

「楽しい」という感覚は、案外長くは続かないものです。けれど当時は苦しくて泣きたかったことが、長い年月を経て笑い話になったり、楽しい思い出に代わることだってあります。時が過ぎてみないとわからないモノもあると思います。

そう考えると、自分のやりたいことをやって満たされている状態も、やりたいことを黙々とやり続けている時も、やりたいことに向かって邁進している過程も、やりたいことはどこかにあるはずだけれど、その姿はぼやけていて、そこにたどり着くための道を模索している状態も、全て「充実している」状態だと思います。

その「やりたいこと」が、仕事に繋がろうが繋がらまいが関係なく、諦めない限り、全ては充実へと繋がっていると考える方が、面白いと思います。どうせ、長く生きるのであれば、少しでも楽しいことが多い方がいいですよね。

 

空の境界 未来福音 (星海社文庫)

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