空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

会社を辞めてから2か月経ったので、当時を振り返ってみる

ノートの表紙に「何者でもない貴方へ」と書いた

会社を辞めるということは「○○株式会社の××です」という肩書きがなくなり、ただの、どっかそこらへんにいる「××」になるということです。それはつまり、定職に就くことで得られる社会的信用を失うことと同義です。例えば土地の購入や、車のローン、クレジットカードの審査などに通らなくなります。ただの××になるということは、「何者でもなくなる」ということだと感じました。だから私は私自身に向けたメッセージを残そうと思い「何者でもない貴方へ」とノートに描きました。現在のブログの前身とも言えるかもしれません。

その1ページ目に7月25日とあります、役2か月前のことです。その時には、すでに会社を辞めることを決めていました。今回は、ノートを見ながら、2か月前を振り返りたいと思います。

「めんどくさい」に込められたモノ

親にどうして働くのがつらくなってしまったのかと問われた時、自分の考えが整理できていないにも関わらず、「面倒くさいから」と言ってしまったことがあります。

両親は「(働くことが)面倒くさい」という意味で取ったようですが、私自身が私の言葉を理解出来ていませんでした。うまく言語化できない、直感的なモノで、けれど「めんどくさい」という言葉が合致しているかというと、そういうわけではなく。それが働くことに対するものなのか、自分に対するモノなのかすら、よくわかりませんでした。だからこそ、それが上手く伝えられないことに、とてつもなく悩みました。

今思うと、「めんどくさく」なったのも、「自分自身の中に原因があったのでは」と思っています。そもそも、仕事や働くことに関する認識や考えが未成熟で、仕事をする意味、働くことに対する姿勢がよくわかっていませんでした。また自分の考えや言葉や本音を口に出すことで、親に呆れられて、怒鳴られて、否定されてしまうと思って、恐怖心を抱いていたという状態もよくなかったと思います。私は、多分、そんな自分が面倒くさいと直感的に知っていたのだと思います。

 「1つの失敗は、人生の失敗ではない」

私は、どちらかというと失敗を引きずる傾向にあるので、たった1つの失敗を、全ての失敗のように捉えてしまいがちです。その他が好評価だったとしても、1点でも駄目な箇所があると、そこばかりが気になってしまい、良い所も悪く見えてしまうのです。

会社の研修で「貴方が作ったモノについて批判するのは、貴方自身を否定しているわけではない」という言葉を聞きましたが、私は「そのモノを作ったのは私なのだから、批判対象は私と同義だ」と思っていました。どこが違うのかがわかりません。そのため、失敗をすると自分が否定されるという思いが根強く残ってしまい、より失敗しないようにと細心の注意を払うようになり、それが失敗することへの恐怖に繋がっていったのだと思います。

 その選択を、後悔しないと誓えるか?

だからあえて、マイナススタートを選びました。悪い方へ、悪い方へと考えてしまって、悪循環のループから抜け出せなくなる、そんな私を変えたいと思ったのです。自分を変えるために、自分の人生を生きるために、会社を辞めることを決めました。

今はまだまだ道の途中です、しかも前も後ろも自分で切り開かなければいけません。けれど、その選択を後悔しないと決めたあの日のこと、今も間違っていなかったと思っています。