空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

人には、それぞれその人に合う適性がある

全員1人残らず、社長とかありえない

会社のお偉いさんが話していたことは、そのほとんどを聞き流していたので、記憶は定かではありませんが、新人研修の中で「君たち1人1人がこの会社を変える社長(リーダー)になってほしい」的なことを言っていたことがあります。

勿論、言葉の意味そのままに、全員を社長にするつもりなどないと思います。 入社した会社は、どちらかというと年齢が高い人が執行役員として残っていて、 古い考えに囚われている人も多い所でした。つまり本質的には、会社の中に蔓延る古い体制や習慣を、 新しい風としての新入社員を入れることで、変えて行こうという考えがあるのだと思います。

本当に会社を変えるかどうかはおいておきますが、意見を通しやすくするためには、会社の中で信用を勝ち得ることであったり、部長や課長のような役職出世を目指すことになるのではないでしょうか。そして、求める社員像に近づけるために、同期の中で競争させようという意図があるのだと思います。

切磋琢磨、向上心という名の圧力

綺麗な言葉で表現すると「切磋琢磨しましょう」ということになるのでしょうが、私には互いを監視させて、「この子はこんなに凄いのに、お前は駄目だ」という先輩視点の評価であったり、「この人はこんなに凄いのに、私はこんなんじゃ駄目だ」という卑下と焦りを増長させ、終わりのない向上心を持って、自己成長をさせようと圧力をかけているようにしか思えませんでした。

私自身が、そもそも、誰かと勝負したり、競争することが好きではないこともあるのでしょうが、 その言葉を聞いた瞬間、「いや、無理だろ」という言葉が風船のように膨らみ、空へ飛び立っていきました。 エジプトのピラミッドのような形をしていると考えるとわかりやすいと思いますが、 会社における、社長や執行役員、部長、課長のような役職のある人は、ほんの一握りです。 当たり前ですが切磋琢磨して競争したとしても、全員がなれるはずもありません。

競争するとしても、戦う土俵は選ぶべき

人にはそれぞれ、その人に合った適性というものがあると思います。その人の能力を最大限に生かすことができ、その人が働きやすい環境にいることがベストです。そう考えると、その適性を無視し、全員をただリーダーにすればいいというわけではないでしょう。まぁ、キャリアパス的にも様々な道があり、一生現場で仕事をしたいのか、管理職になってマネージメントをしていきたいかという本人の希望もあるので、いちがいに全員が役職出世を目指すわけではないとは思いますが。

時には、競争しながら互いに成長することも大切ですが、私は戦う土俵を選んだほうが、いいのではないかと思います。

働いた経験がほとんどないので、就職活動を例にあげますが、有名な大企業に、たくさん入社希望の就活生が集まっている状況を考えてください。はたから見ると優秀に見える有名大学の学生が何千人といる中で たった3コくらいしかない椅子を椅子取りゲーム的に争うとします。本当にそこに入りたいのであれば、荒波を潜り抜けることは必要ですが、勝ち目がないことの分かっている場所で、無理して戦ったとしても、自分を消耗するだけです。ところがあまり人に知られていない中小企業での入社試験の場合、そもそもの競争人数が減るので、それだけ戦いやすくなります。

大学で学術研究をしていたり、論文発表をする時も同じです。 有名な研究分野には、先行研究として数多くの研究者がいて、現在進行形でそれに携わっている人はたくさんいます。研究されつくしている中に飛び込んで行く人もいますが、私はまだあまり注目されていない分野、もしくはまだ更地の場所を探しに行きました。新しいことを研究するということは、何を題材にして何を実現したいのか、そのための手段や方法すら手さぐりで探さなければならないという、大変さはありますが、途方もない戦いを避ける事が出来ます。

人の適性と環境との相性

このように考えると、戦う場所は吟味した方が、いいと思うのです。ある人にとって当たり前に出来ることであっても、全員が同じことが出来るかといわれると、決してそうではないように、自分らしくあれる場所で戦ったり、休んだりすればいいと思います。競うことも、勝負も好きではありませんし、得意でもありませんが、それでも、「そんな自分を駄目」だと責める必要はありません。 自分とその環境の相性が、きっとよくなかっただけかもしれません。いきなり、全てをガラリと帰ることは難しいかもしれませんが、そう考えておくだけで気持ちが楽になるかもしれませんよ。