空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

誰かを想う手紙に、心をのせる

最近、手紙を書きましたか?

私が小学生や中学生の時は、遠くに住む知り合いに連絡を取る手段として主に使われていたのは手紙を書くことだったと思います。お気に入りのイラストが書かれた便せんを買い、封筒に封をするためや、便せんを華やかに彩るためのシールを集めたものです。書きたいことや伝えたいことががたくさんあるからなのか、当たり前のように何度も書き直し、枚数がどんどん増え、その枚数でふわりと膨らんだ封筒に切手を貼り、ドキドキしながら郵便受けに手紙を投かんしたものです。友達や従姉妹からの手紙は、今でも大切に保管してあります。

いつの間にか、疎遠になっていく

ずっと前から祖父と祖母に、手紙をくれると嬉しいなぁと言われていました。実は、祖父と祖母には、もう10年ほど直接会っていません。住んでいる地域が離れていて、気軽に尋ねることができないという理由もありますが、祖父と祖母の住む地域には、本当に何もなく、行っても仕方がない、暇を持て余すだけだと思っていました。だから夏休みのように時間が取れる機会も、また今度、また今度と先延ばしにしてしまうことが多かったように思います。きっと祖父や祖母にとっては、孫の顔を見るだけでもいい、近況を話してくれるだけでもいいから、してほしかったのだと思います。それが出来ないのであれば、手紙だけでもと思ったのだろうと思います。

初めて、言葉が不自由だと感じた

会うことも、手紙を書くことも後回しにしてきた私が、ペンを取ったのは一昨日のことです。父が、祖父と祖母の様子を見に行くついでに、わたしがニートになったことを話すと言ったからです。他人に話されるのは嫌だという気持ちと、けれど直接向かい合って話す勇気はないという気持ちがせめぎ合って、それでも誰かの口から聞き伝えのような、推測の入り混じった言葉を言われるより、自分の言葉で伝えたい、そう思って手紙を書くことにしました。

どちらも80を超えており、いつどうなるかわかりません。祖父には目立った病気はありませんが、若干痴呆があります。祖母に至っては体が弱り始めた途端、鬱のような症状に悩まされているようです。だから本当は、祖父と祖母に元気をあげられるような内容を書きたかったのですが、何も、浮かびませんでした。便せんとペンを持って、愕然としました。

書きたいことがたくさんあって、取捨選択しながら、手紙をまとめた小さな頃の私。書けないことがたくさん増えて、真っ白な紙を前に、立ちすくむ今の私。出来事はたくさんあったはずなのに、伝えたいことがない、伝えられることがないことを初めて知りました。

その後、ニートになった経緯と主な理由、それから今後の抱負を簡潔に書き、こんな結論になってしまったことに対する謝罪と、今までどんな時でも味方でいてくれて、経済的にも支えてくれたことに対する感謝を述べることに徹しました。書けないことについては、潔く諦めました。

心をのせる

手紙は相手を思い、それに自分の心をのせるものです。丁寧にたたみ、特別な空き缶に思い出を保管することが出来ます。やりとりした手紙は、捨てない限り、ずっと手元に残ります。懐かしくなった時や、掃除して偶然見つけた時などに、その封印を解き、手にとって、思い出を追体験することが出来ます。

わたしたちが、今当たり前のように使っているパソコン、携帯電話を使って気軽に遠距離の相手とも連絡を取れるメールや、TwitterFacebookやLineは、伝達する速度が上がり、便利になったことは確かです。けれど、簡単だからこそ、おろそかにしてしまった大切なことがあるように思います。

手紙を書くことで、今のわたしには、祖父や祖母に伝えたいことが何もない。それは何もしていないからだ、ということに気が付きました。それだけでも良しとします。9月にボランティアをしたら、その感想をまた手紙にして、近況を教えてあげようと思います。そして、近いうち、顔を見せに行って、直接体験したことを話せるようになりたいと、想います。