空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

小さな頃の夢 と 1つのカタチ

物書きになりたい

これが、私の小さな頃からの夢でした。きっかけは「ハリーポッターと賢者の石」を読んだことです。今でこそ本を読むことは好きですが、実は初め、あまり興味がありませんでした。そんな私に、本を読む面白さを知ってほしいと思った母が、ベッドで寝る私の隣であのとてつもなく重い本を持ち上げて、読み聞かせてくれていたそうです。

初めてハリーポッターを読んだ時の感想は、文字しか書いていないはずなのに、頭の中にホグワーツ魔法学校の光景が浮かび、目の前のテーブルに美味しそうな食事があることを感じ、ストーリーに引きまれていく、そんな空想の世界を、こんな物語を自分も書いてみたい!でした。

書きたいと思っても、いきなり書けるわけではありません。いきなり白いノートと鉛筆を持っても、頭が真っ白になるだけでした。そこで、当時小学生だった私がしたことは、ハリーポッターの模倣作品を作ることです。本を開き、大学ノートに一言一句書き写し、もし自分がこの世界にいたらどうなるか、例えば、新一年生が組分け帽子を被るシーンでどこのクラスが選ばれるか等を空想して、その妄想を書き加える作業をしました。今でいう二次創作みたいなものですね。「三度の飯より、睡眠よりも空想」が、私の小学生時代でした。

書いていると、だんだん新しいストーリーのネタが浮かんでくるようになります。それはストーリーの土台となる世界観だったり、登場人物の1人だったりするのですが、その中に飛び込んで、どういう行動をするのか観察して、あ、面白いなと思ったことを文字におこすことで、オリジナル小説を書くことができるようになりました。小学生時代から高校時代まで、書き散らしたノート数は30冊にもなり、一番熱中して、時間を忘れて、取り組むことが出来ていたものだと思います。

しかし高校受験や大学受験というような、だんだん社会に出るということを意識し始める時期に、そんな叶うかどうかわからない、すぐに稼げるわけでもない、たかが夢のために、たった一度しかない人生を棒にふるのはどうかと、もっと普通の、真っ当な人生の道があると親に言われました。確かに小説家というのは、自分の好きな話を書けばいいというわけではないですし、読者がいて成り立つものです。さらに、小説家になることが出来るのはほんの一握りの人で、なりたくてもなれない人が大勢いることも現実です。けれど、夢を見るのはやめて現実を見ろと言われたことが、当時はとてもショックだったのです。

なら、今まで私が、小学生時代に楽しんで書いていた物語をどういう気持ちで見ていたのか、小さな頃、将来の夢は小説家と言っていた私を、できるはずがない夢物語だと思っていたのか。そう思うと哀しくて、一番好きだった、物を書く、創作する、表現することをやめてしまいました。

けれど今、私はまたモノを書いています。当時思い描いていた小説を書くというカタチではなく、ブログというカタチで、です。勿論、今はお金にはなりません。それでも今の生活の中で、一番楽しくて、時間を忘れるくらいに、熱中出来ることです。思いを文字に落とし込むことが難しくて、何度も書き直す苦しい時もありますが、それも含めて、創作するということが好きなのだと思います。

物を書く、特に創作することは、何も小説を書くことだけではありません。ブログも、歌詞を作ることも、詩を書くことも、ゲームのシナリオも、メールマガジンも、物件の紹介文章を書くことも、もっといろんなカタチを考えることが出来ます。お金にならないから、やらないというわけでもありません。誰かが注目してくれなくても、やりたいから書く、そしてそれを継続する。私が1人でノートとペンを通して、頭の中で走り回るキャラクターたちと遊んでいたように、もっと創作することで、遊ぶことが出来たらいいなぁと思っています。

これも、巡りに巡って、私の夢のカタチの1つだと思います。そう考えると、1つのモノに固執する必要はなくて、いろんな所に夢が転がっているということもできるでしょう。今は、創作できる場が広がっている時代ですし、もっとゆるやかに夢を叶えることができるのではないかと思います。