空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

体育館から 逃げ出した 私

人は、自分の中に何人もの自分を持っている。

例えば、本音を隠して、建前上社会の中でやっていくために仮面をかぶるわたし。自分を傷つけないために、自分を過剰なまでに守るために、逃げる選択肢を取る、弱いわたし。逃げたことに対して、駄目な奴だと、罵り倒すわたし。イライラして、この気持ちをどう発散すればいいのかわからず、誰かに暴言を吐かないように、口を閉ざすわたし。涙を流して誰かを困らせないように、自分を殺すわたし。嬉しいことや楽しいことを、誰かに伝えたいわたし。たくさん、たくさんいるけれど、すべて私自身です。

今日はその中でも、引っ込み思案で、他人が怖くて、防御・逃げること専門のわたしの話です。この子はなんとも突発的に、頭の中で泣き叫ぶので、未だに行動原理がよくわかっていません。おそらく痛いことが苦手で、傷つくことを避けようとするが故に、逃げるのだと思います。まぁ元をたどれば、私自身の話なのですが。衝動的かつ感情的で繊細なコンプレックスです。

まずタイトルの内容について触れる前に、どうして体育館に行ったかという話をしておきます。ニートに限らず、学生も、社会人も、高齢者の方も、健康は大切ですよね。そして健康を維持するためには、適度な運動をする必要があります。

私自身も運動不足を感じていて、地元散歩したり、近くの神社参拝したりしていたのですが、 市営体育館にトレーニングルームがあることを知り、そこで運動するのもありだと考えていました。直前まで行く気もやる気もなかったのですが、鬱々しい気分を一掃できるかもしれないという淡い期待を持って、本日、午後2時からビギナー講習(トレーニングルームを初めて利用する人向けのトレーニングマシンや、使用方法を教えていただく講習)があったので、思い切って行ってきました。

結論を先に言うと、ビギナー講習はたったの30分だったので、それはクリアしました。その後は、自由にトレーニングルームを使っていいと言われたのですが、トレーニングルームを出て、更衣室に逃げ込みました。逃げ込んで、そのすばやさに驚愕して、自己嫌悪して、着替えて、帰る準備をしました。

当時を思い出すと、頭の中でガンガンと「逃げたい逃げたい逃げたい」という コールが鳴り響き、その小さな叫びがだんだん大音量になっていくように感じました。実際にトレーニングをする時は、最終的には自分と自分の話になりますし、そこに他人がいようといまいと関係ないことだと思うのですが。普段、ひきこもっていることが多いので、他人と同じ時間・部屋・空気を共有して運動するということに、高いハードルを感じたのかもしれないと、今は考えています。

ただ、この傾向は私の思い出したくない暗黒歴史である小学生時代からすでにありまして、中学時代は一時落ちついたのですが、高校、大学生活でもしょっちゅう出現していました。主に所属している組織やグループ内、つまり研究室や部活動で活動する際に顕著であったと思います。よくトイレに逃げ込んで、精神統一してから部屋に入ることもしょっちゅうでした。中には他人からどう見られるのかが気になり過ぎて、1時間半ある部活時間をトイレに隠れて、過ごしたこともあります。

怖いことや痛いことに、真正面から向き合うことは、だいぶ難しいです。もしカッターや包丁の刃がむき出しになっていたら、真正面から克服しようとすると大変なことになりますよね。だからこういう時は、ほんの少し別の所にある楽しいことを考えて、この弱くて逃げ出したがりの自分を、騙すことにしています。

「真正面からじゃなくて、横からいってみない?」とか「後ろからでも、近づくことができるかもよ」とか「怖いのはよくわかるよ。本当に駄目だと思ったら逃げてもいいから、あそこまで行ってみよう」、「今日は、あそこまでいけばいいよ」と最終的には辿りつくところは同じですが、そこにたどり着くまでのステップを、自分なりに工夫することにするのです。自分を励ますために、自分を楽しくするために、トレーニングすること自体をもっと魅力的なものに変えるのです。

逃げてしまうというのは、自分を守るための、本能的な防御なのだと思います。けれど、なぜそれを繰り返してしまうのかと考えると、おそらく自己評価がとてつもなく低いからだと思います。 進んでみては怖くて逃げて、逃げたけれどもやり直そうと思ってまた前進してみる。その繰り返しはきついことで辛いことですけど、今までもなんとかそうやって来れたので、小さな成功をひとつずつ積み上げて、いつか弱いわたしたちと手を取り合って、私自身になりたいです。

つまり、今日は体育館から逃げ出してしまったけれど、 ビギナー講習を最後まで受けるという目標を達成したわけですから、 それで良いと考えることにします。次回以降には、トレーニングマシンに乗ることができればいいわけですから。