空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

すれ違いざまコミュニケーション

バスの運転手って、格好いいなぁ。

そんな風に感じたのは、私が小学生の頃です。バスの運転手が反対車線側にいるバスの運転手に向かって、片手をあげて合図を送ることがあるのを御存知でしょうか? 運転手の一番近く、先頭の席に座ると、それを確認することができます。

初めはなんのためにしているのだろう、運転中にハンドルから片手を離すなんて 危ないじゃないかと思っていたのですが、合図と表情から「お疲れ様」であったり 「お気をつけて」のような挨拶を感じたので、子供ながら、その所作が大好きでした。

調べた所によると、バス同士がすれ違う際、運転手が片手を挙げて 合図するという行為は、結構歴史があり、戦後から始まった慣習だといいます。 この合図には「この先お気をつけて」という意味があり、始めは同じ会社に所属する運転手同士の 挨拶だったらしいのですが、都心では数多くの会社があるため、会社問わず行うこともあるようです。

ところで、すれ違いざまの挨拶というものは、あまり見られないものになったのではないかと思います。 今でも、会社や大学、部活動などといった一定のグループ内での挨拶はあると思いますが、 初めて会った赤の他人にいきなり挨拶をするということは、よほどのことがない限り、ないと思います。それに、知らない人に下手に話しかけると怪しまれますしね。

このバス運転手同士の挨拶というものは、登山道ですれ違う時に知らない人に 「こんにちは」と挨拶するのと、似た物を感じます。そしてそれは、とても気持ちがいいことです。挨拶をし合う、声を掛け合うというのは、今では少し恥ずかしくなってしまうくらい、 日常生活の中ではやらなくなってしまった行為です。けれど、自発的・自主的に挨拶をするということは、 とても楽しいことですし、嬉しいことであり、今日も一日頑張ろうという元気が湧いてくるものでもあります。

昔、この合図が原因で交通事故が起こったこともあり、会社によっては合図を禁止する所もあるようなので、みられる機会が少なくなってしまったかもしれません。互いをねぎらうように、仕事の無事を祈願するように、毎日合図を送る、この戦後からずっと続けられてきた、バス運転手たちのすれ違いざまのコミュニケーションに、私達も学ぶべきところがあるのではないかと思います。

そして、効率や安全性や信頼性を最大まで引き上げるために、その他の無駄をすべて省き、コミュニケーションをも無駄と切り捨てて欲しくないとも、思います。だから、この数少なくなってしまった、すれ違う時の挨拶はなくなって欲しくないと思います。