空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

見えない けれども立てる目標とゴール

ゴールはそこにあるものなのでしょうか?

最近、就寝前になると部屋に両親が尋ねてきて、「今日は何をしていたの?」と毎日のように言われます。そして昨日、新しく「ゴールと目標を決めなさい」言葉が追加されました。

それが結構つらいです。今日1日の出来事を把握して、私の生活を管理しようとしているようにも感じますし、「おまえが家で暇している時、私たちは働いているんだぞ」とか「そんなことをしていて、本当にいいと思っているの」的な感じで、毎日、夜になると集中砲火で責められているような気がするからです。

ただ、両親の考えていることもわからないでもありません。今のニート生活は、いわば毎日が日曜日であり夏休み状態です。いつまでにこうする、というゴールや目標を立てないままでも、ただなんとなくネットをしているだけで1日を過ごせてしまいます。そして、次の仕事を見つけるまでの期間、働き始めるまでの空白期間が長くなれば長くなるほど、転職や就職状況は厳しくなっていくということがわかっているからです。だから親としては出来るだけ早く、例えば1年以内に就職するという目標を立てて、ハローワークに行くなり、派遣紹介サイトに登録するなりして、目標を達成するための具体的な行動を起こして欲しいのでしょう。

ただ「ゴールと目標」と言われても、いまいちピンと来ませんでした。期間を決めることは大切だと思いますが、1年以内に就職するという目標を立て、また同じように就職活動をして会社に入るということは、ニートになる前の私の生活を また始めから繰り返しているだけという気がしてなりません。「働きたい」とは思いますが、ただ単に転職することを目標とするのは違うのではないかと思います。

また、今まで私の前に現れたゴールと目標というものは、極めて短期的なもの多く、始めからそこに用意されているものであることが多かったように感じます。それは大学時代でいう単位とレポートの〆切であったり、システム開発等で初めから決められている納期に似ていて、自分が立っている位置から、ゴルフでいう旗が立っているゴールポストが 進む先や視界の端にわずかながら視えるという状態のような感じです。

でも、ゴールや目標ってそこに用意されているものばかりではないでしょう。過去に、私が高校時代に女子1人だけだったからという理由で続かなかった部活があります。まぁ・・・卓球なんですけど。やっぱり、どうしてもやりたいという思いがあって、人間関係は不安だったけれど、諦めることは出来なかったので、大学で卓球部に入りました。その時の目標は、前は3か月しか続かなかったけど、今度こそ1年は続けることでした。結果、私は部活を3年続けることができ、目標を達成ました。「何かやりたい、これをしたい、今度こそ!」という熱意みたいなものが、人を動かし、力を与え、それが何もない所にゴールや目標を生むことだってあります。

今、私の前には、真っ白い砂の砂漠が広がっています。その先には何も見えません。道らしい道もありませんし、視界の遥か先に旗なんて見えません。"なんとなく"、 "とりあえず"、コンクリートでガッチガチに固められた歩道を歩くことは出来ます。けれど、それでは駄目だったということに気がついたのが今です。

いつまでもダラダラと時間が過ぎて行くことを、良しとするわけではないのですが、単純に「いつまでに○○する」という目標を立てることすら、難しいというのが正直な所です。受験やレポートの〆切にように、事前にゴールが分かっていれば、そこから逆算して、今何をする必要があるのかを考えることが出来るのですけどね。

預金のことを考えると全然余裕はないのですが、働くとはどういうことなのかを自分なりに理解し納得した上で、自分は何をして働きたいのか、自分の軸は何なのかを見つけ、目標をどこに立てるのかを決めることが今の私の小さな目標です。ゴールについては、わかりません!けれど1か月単位くらいで、小さな目標をそのつど修正しては練り直す中で、見つけて行きたいと思います。