空想島(6畳半)

空想をすることが、生きる糧となり地となり肉となり

東京で集まる会 というものに参加してきた

昨日、東京で集まる会というものに、参加してきました。

主催者は、ゆとりさとるさん。自らの体験や考えたことを「1年で会社を辞めたゆとり新卒ブログ」として公開しながら、自分の幸せとは何か、働くとは何かを色々深く考えている方です。

会の趣旨は、主に働くということについて、普段、家族や友人ともなかなか話せないことを話したり考えたりしましょうということでした。

私の参加理由は主に二つあります。

①8月から無職でありニートになったので、同じように悩んでいたり考えている人の話が聞きたくて。

②@phaさんの「二ートの歩き方」にもありましたが、圧倒的にマイノリティーなわたしたちは、少しでも繋がっていた方がいいと思ったので。

会は、1次会としてカフェで自己紹介や雑談。2次会で御飯を食べに行き、3次会で居酒屋でひたすら思う所や悩みを話したり、二ート暦の長い先輩に、いろいろ何もやらないで毎日過ごすのは結構つらいという身にしみる言葉を頂いたりしていました。ちなみにどうなんだろ。あの会の中で、ニート暦が一番短いのは私だったかもしれない。

以下は、参加して私が感じたことや、思ったことです。

* * *

集まっていた人は、たぶんすごく繊細に自分と周りの世界を見ている。経歴や生き方はそれぞれ異なるんだけど、皆必死なんだと思う。

周りに流されて進路を決めたことに悩んでいた私や、いままで周りが望むように生きてきた人、どうすれば自分は幸せになれるのかを考えている人や、やりたいことがわからなくなって立ち止まって考える人、仕事をする意義や意味を見いだせない人、自分がやってみたいと思うことを貫くために、孤独を選びながらもがく人、お金という経済的な面から中々動きだせない人、ニートという期間を経て、自分なりの思いや軸を掴み取っている人。

それぞれが基本的にはある程度の情報や豊かさを享受できる(?)この世界で、自分の生きる意味、本当にこれでいいのか、働くって何なのか、本当に道はこれだけなんだろうかとか考えている。

働き始める時というか、就職活動をしていた時は、お金という生きる上で必要なもののためだけでも働けるかなって思ったけど、そうじゃなかった。実際は続けることができなかったし、でもそれでも多くの人は働いているわけだし。定年が近づいている私の父だって、定年後も働きたいと言っていた。きっとそこに、お金だけじゃない価値がある。けれどそれが何かは今はわからない。

それをわたしたちは、見つけたいと思っている。

生き方は色々あるはずなのに、基本的には大学を出て就職することが一般的だとしか教えてもらってこなかったから、そういうものだと思っていたのかもしれない。でも、生き方ってもっと色々あるはず。それが、自分の中でこういうことかもしれないということがわからないと・・・本当の意味で動きだせない。情熱や何かしたい!っていう衝動、わくわくするような何かをわたしたちは忘れているのかもしれない。

多くの人も、悩んでいないわけじゃないのだろうけれど、それでもそういうものだからという感じで働いていけてしまう。けれどわたしたちにはそれが難しい、「まだ働く段階じゃなかった」という言葉が強く心に残っている。だから二ートであったり、ひきこもったりしながら、もがいている。自らの手で、仲間と一緒に何かをつかみ取ろうとしている。

ひとりで悩む必要はない、たくさん、たくさん仲間がいることも知った。これからもこういう取り組みや、できればギークハウスみたいに集まれる場所があるといいかなーとは思う。

できることをしよう。

やりたいと思えることをやってみよう。

自分のこころが動くものを見つけ出そう。

その先にある、何かをつかもう。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

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